2006年11月05日 (日) | Edit |
土居 健郎 著「表と裏」弘文堂より(22)


良寛とイエズスと、
その魅力は普遍的であるが、
特殊な宗教家の場合についてのべたので、

ここでもう少し一般的な例として
漱石の『こころ』に出てくる話を
取り上げてみよう。

この小説は漱石自身、
「自己の心を捕らえんと欲する人々に、
人間の心を捕らえ得たる此作物を奨む」

という宣伝文を書いているくらいであるから、
余程会心の作であったらしく、
非常に豊かな内容を持った作品である。


私もこれまでもいろいろな観点から
この作品を論じたが、今回は、
これが秘密と魅力の関係を示すところに
焦点を置いて論じてみたいのである。


まず「私」としてこの小説に登場する青年が、
ある夏、海岸の避暑地で、彼が「先生」と
称するようになる人物と知り合って、

その後「先生」のもとに足繁く通うようになる、
という設定でこの小説は始まる。

ではいったい何が「私」を「先生」に
引きつけたかというと、

前にどこかで会った人のようだという
親しみを示唆するデジャヴュ(既視)の感とともに、
「先生には近づき難い不思議」があって、

そのために「どうしても近づかなければならない
という感じ」が働いたからであるとのべられている。

この「先生」との関係と反対に、「私」は郷里の
父親をうとましく感じていたが、それは「私」が
「ほとんど父のすべてを知り尽くしていた」からであった。

ある日「私」は、親の財産相続について、
「先生」が異常に興奮して、今の中に話を
つけておいた方がよいと忠告するのを聞く。

「私」がその理由を問うと、「先生」は、昔、
父の財産を親戚に騙し取られ、
それ以来人間不信に陥ったことを言葉少なに語ったが、

それだけでは「私」は満足できず、別の機会に、
もっと詳しい事情を話してほしいと「先生」に迫った。

すると「先生」は、これ以上過去を語るわけにはいかない
といったんは断ったが、なおも食い下がる「私」に、
明らかに動揺を見せながら、次のようにのべた。

自分はこれまで誰も信用できないで来たが、
死ぬ前に一人でも信用して死にたいと思っている。

もしあなたが本当に真面目なら、
自分の過去を聞かせてもよいが、今すぐではない、
それにその話はそれほど有益ではないかもしれない、
以上のごとくである。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
漱石の小説『こころ』は
簡単にすいすいと理解できる内容の本では
ないとおもいます。



2006/11/06(Mon) 09:50 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
このお話、興味があります。
「自分はこれまで誰も信用できないで来たが、死ぬ前に一人でも信用して死にたい。」こんな言葉を言う人はどんな過去を背負っているのだろう?小説の話なのに胸が痛いです。
2006/11/05(Sun) 17:37 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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