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2006年10月30日 (月) | Edit |
ジェームズ アレン 著「原因」と「結果」の法則より(6)


外の世界である環境は、
心という内側の世界に合わせて
形づくられます。

そして、好ましい環境と
好ましくない環境の双方が、究極的には、
そこに住む人間の利益に貢献します。

人間は、自分自身の果実の収穫人として、
苦悩と喜びの双方から学ぶことができるからです。


人間は、心の奥底の支配的な思いつきにしたがい、
誤った行いをつづけながら、
また正しい行いに努めながら、

やがては、それらの果実である自分自身の
外部環境に行き着くことになります。

はあらゆる場所で
機能しているのです。

人々が刑務所に入ったり貧困に苦しんだりするのは、
過酷な運命や環境のせいなどではけっしてありません。

かれらがそうなるのは、ひとえに、彼ら自身の
不純な思いと利己的な願望のせいなのです。

済んだ心をもつ人間は、
たとえどんな誘惑を受けようとも、
けっして犯罪に走ったりすることはありません。

心の中で養われ、パワーを増した犯罪思考が、
機会をとらえてそれ自身を外部に漏らしたとき、
犯罪は発生します。

環境は人間を創りません。
私たちの環境は、私たち自身のことを
外部に漏らすのみです。

気高い思いばかりをめぐらしている人が、
邪悪な道に落ち、苦悩する、
などということは決して起こりません。

同様に、邪悪な思いばかりをめぐらしている人が、
気高い目標を達成して真の幸せを感じる、
などということも絶対に起こりません。

人間は自分の思いの主人です。
よって人間は、自分の人格の制作者であり、
環境の設計者なのです。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
自分で選んで
生まれてきたかどうかは
私にはわかりません。

忘れてしまっているだけなのかどうかも
わかりません。



2006/10/30(Mon) 18:29 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
知恵の実を食べすぎて
環境や自然は、もともと、
人間がつくったもので、
人間が選んだものなんじゃ。

 とどのつまり、
波乱万丈の輪廻転生を楽しんでいるといってもよいじゃ。

ドラマを沢山みているというわけじゃね。
あまり見すぎると、毒だよと、
ときどき、親のように、神様が注意しにくるのさ。
それが最後の審判ってやつじゃ。


なるほど~~~
私も今、波乱万丈の輪廻転生を楽しんでいる
と思えてきましただす。


2006/10/30(Mon) 18:25 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
わかりやすい説明でした^^。
コメントをいれたら、錬金術者さんのが、先にありました。やまんばは以前から、なぜエデンの園に二本の樹があるのか不思議でした。とくに生命の樹が謎でした。この説明はとてもわかりやすく、シンデレラの靴のように、やまんばの疑問にピタッとはまりました。語り口も気に入りました^^。
2006/10/30(Mon) 12:19 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
生きてるときはその法則でわかりますが・・・
私たちがどの国の、どの町のどんな男と女の組み合わせで誕生するのか?死もそうですが、自分で選んだり、決めることはできません。それとも、忘れてしまっているだけで、自分で選んで生まれてきているのでしょうか?
2006/10/30(Mon) 11:58 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
生命の樹と知恵の樹
 聖書の創世記には、エデンの園の生命の樹と知恵の樹の話があるじゃ。神様は、人類の祖アダムに、生命の樹からはなんでも好きなだけ果実をとって食べてよいが、知恵の樹の実は、食べ過ぎると毒がまわり、死んでしまうから、食べてはいかんじょといったそうな。
 しかし、アダムは、いいつけ破って食べてしもうたがな。ここから人類の果てしなき輪廻転生が繰り返されずじゃ。神様と人間の大きな違いはなんだろね?輪廻転生するかしないかということもあるじゃ。
 神様は、やること全てが善で、真実だから、悪や偽を知らんがな。天才の人に、なぜ、そんなことができるんだがやって聞くと、できるもんはできるとしかいいようないよね?ここに天才の秘密があるじゃ。生命の樹と知恵の樹の違いがあるじゃ。
 生命の樹は、眼にみえないイメージの樹ともいってよい樹じゃ。眼に見えない、いわゆるソフトの樹じゃ。霊性の樹ともいう。波動の樹ともいう。だから、実をとっても食べても無くならないし、食べれば食べるほど幸せになり、善いイメ-ジが膨らむじゃ。
 対して、知恵の樹は、モノの樹じゃ。食べると無くなり、食べれば食べるほど、欲しくなり、忽ち空腹感に満たされ、もっと食べたくなり、ついには独り占めしたくなるじゃ。
 知恵の樹は、生命の樹とセットで育つんじゃが、知恵の実を食べすぎると、生命の樹を忘れてしまうじゃ。生命の樹は、真善美の道から生まれるが、知恵の樹は、その生命の樹から生まれるじゃ。実は生命の樹は、人間の内面で、知恵の樹は、人間の外の環境や自然のことなんぞ。
 人間は知恵の実を食べすぎて、内面を忘れ、外見だけに囚われた存在になってしもうたんじゃ。だから、外見がなくなると、死ぬと思いこんでしまうじゃね。でも、生命の樹があるから、死ぬなんてないんじゃね。知恵の実を食べすぎて、毒がまわったんじゃ。あまりに外見に囚われると、外見的に自らが選択していうようで、出来事全てが確率のような気がして、自由だけども、本質は内面だから、かわらんじゃ。自由の風にみえているだけじゃ。
 自由にみえている風、波乱万丈な世界、生き死にという激しいやりとりを人間が好んだだけじゃ。知恵の実を食べすぎて、消化不良を起こしただけじゃ。だから、環境や自然は、もともと、人間がつくったもので、人間が選んだものなんじゃ。
 とどのつまり、波乱万丈の輪廻転生を楽しんでいるといってもよいじゃ。ドラマを沢山みているというわけじゃね。あまり見すぎると、毒だよと、ときどき、親のように、神様が注意しにくるのさ。それが最後の審判ってやつじゃ。
2006/10/30(Mon) 10:06 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
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