--年--月--日 (--) | Edit |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2006年10月24日 (火) | Edit |
土居 健郎 著「表と裏」弘文堂より(20)


次に良寛の「戒語」のいくつかをあげてみよう。

「ことばの多き」「口のはやき」
「とわずがたり」
「さしで口」「手がら話」
「人の物いひきらぬ中に物いふ」
「能(よ)く心得ぬことを人に教ふる」

「物いひのきはどき」「ことごとしく物いふ」
「その事をはたさぬうちに此事をいふ」
「人のはなしのじゃまする」
「親切らしく物いふ」
「学者くさき話」「風雅くさき話」
「さとりくさき話」「茶人くさき話」
「すべて言葉をしみじみといふべし」


さてこのような良寛の人柄は彼に接した
当時の人々に深い印象を与えたらしく、
『良寛禅師奇話』は次のように伝えている。

「師、常に黙々として動作閑雅にして
餘(あまり)有るが如し」

「師と語る事一夕(いっせき)すれば、胸襟清き事を覚ゆ。
師、更に内外の経文を説き、善を勧むるにもあらず。

或は厨下につきて火を焼き、或は正堂に座禅す。
其語、詩文にわたらず、道義に及ばず、
優遊として名状すべき事なし。」


まことに良寛は、先に説明したごとき意味において
真にゆとりのある人物であったと云わねばならぬ。

しかも最も注目すべきことは、
彼がこのように何事も心に深く秘めた生活を営みながら、
人を安易に近づけないという風は少しもなく、

むしろ接する者すべてになつかしい気持ちを
起こさせたことである。

この外からは窺い知れない内面を有することと、
親しみの感情を起こさせることの二つは、
魅力ある人間の本質であると思われるが、

この点についてはまた後にのべることにしよう。
そしてここでいま一人魅力ある人物の例を
あげておきたい。


それは他ならぬキリストのことである。
もっともキリストというよりも、

単にイエズスという人物の名をあげるだけの方が
ふさわしいかもしれない。
というのはキリストというのは称号であり、

今でこそイエズス・キリストと並び称するが、
実はイエズスがキリストであるということこそ
彼の秘密であったからである。



次回につづく


↓↓↓あなたの応援↓↓↓(1日1クリック)お願いします。

にほんブログ村 哲学ブログへ人気blogランキング精神世界 ランキング


スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
イエスと結婚していた?
マグダラのマリア ↓ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%A9%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2

『最後の誘惑』で十字架上のイエスがマグダラのマリアとの結婚生活を夢想する。 1982年に英国で刊行されたノンフィクション Holy Blood, Holy Grail (邦題『レンヌ=ル=シャトーの謎』)で著者らは、イエスとマグダラのマリアが結婚しており、子供を設けたという仮説を示した。マーガレット・スターバードもこれに追随し、1993年『マグダラのマリアと聖杯』で、イエスとの間の娘をサラとした。2003年の小説『ダ・ヴィンチ・コード』がそれをストーリー中に使っている。

これも想像の世界でしかない。史的イエスすら構築が難しい中ではまだ、まじめな研究対象とはなっていない。 問題は、過去にそういうことが信じられてきたかどうかにある。 結婚していたとする論では、そのことは伏せられてきて、あちこちに暗喩や象徴の形で残っていると主張する。 暗喩ではなんとも言えないが、唯一明示的なものに、2-3世紀ごろの著作と見られる『フィリポによる福音書』の記述がある。



イエスの様々の謎は、これからも
わからないままだとおもいます。




2006/10/25(Wed) 16:00 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
キリストは人類と結婚したのです
 マグダラのマリアだけではありません。ダビンチコードは全くの出鱈目です。キリストは、12人の使徒とも師弟関係としていわば結婚したのです。
 結婚は、将来、愛の共同体として神の王国(霊的関係)をつくるためにあるのです。あくまで、霊的関係が前提です。なので、洗礼名として、新たなる自我を名乗るのです。神秘的には霊我といいます。ダビンチコードは、あまりに唯物的で、ある意味、悪魔の書といえるべきものです。真の教えならば、少なくとも無料で公開しなければいけません。
2006/10/25(Wed) 09:50 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
今となっては知る由もないですが。。
こんばんは☆

私、イエス・キリストには興味がありますし
彼には『慈悲』とか『慈愛』を感じます。

(旧約聖書の神には、微塵も感じませんでしたが)

生い立ち?も神秘的ですけれど、マグダラ(でしたよね?)
のマリアとの一件は、やはり、本当だったのかしら?

ショックでしたわ。。。

性を超越したところも、イエスの神格化される
要素だと思うのですが。。

本来、結婚していようがいまいが、イエスの功績に
何ら、変わりは無い!と、思うものの

あ~やっぱり、普通の男の人なのね・・

と、何故か裏切られたみたいでちょっとがっかりしましたわ。

私、まだ『ダビンチ・コード』観ていないんです。
そのうち、スカパーで放送されると思うので。


2006/10/24(Tue) 19:48 | URL  | マリア #-[ 編集]
こころの境界
がなくなると、

外の宇宙の現象が、
内のものとして、
感じられてくるぞな。


ケン・ウィルバー著「無境界」を読んでいて
外の世界が自分の内のものとして、
感じられてきたことがありましたよ

それが自分の秘密の境界ということなのかな




2006/10/24(Tue) 18:37 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
不完全で、ぶざま
なのはやまんばさんだけの
特許ではないようです。

人生は、だれもが
不完全で、ぶざまで、つかみどころなく
終点までいくようです。



2006/10/24(Tue) 18:09 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
宇宙の事象法則は自らの秘密にあり
 我々の外に宇宙があるだす。我々の中にも宇宙があるぞなもし。我々は外の宇宙と内の宇宙の境界に住むぞな。
 花をみて、美しいと感じるこころ。外の宇宙の花と、内の宇宙の美しさが、こころを通じて呼応しあっているぞな。こころは、自分の秘密の境界だす。一人遊びの舞台ぞな。
 こころが外と内の宇宙を捉え、秘密に遊んでいるぞな。こころの境界がなくなると、外の宇宙の現象が、内のものとして、感じられてくるぞな。
 人間は宇宙の観測隊といえる存在ぞなもし。宇宙の叫びを聞き給え。気象の喜びを聞き給え。地球の安らぎを感じ給え。
 外の宇宙が人間の器官を内の宇宙として、つくったんぞなもし。心臓は、天と地の子で、男と女の行為そのものだぞなもし。
2006/10/24(Tue) 14:57 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
魅力ある人
不完全で、ぶざまなやまんばが、このままでもいいのだと思わせてくださる人。ありのままを受け入れてもらえるから、生きる勇気とエネルギーがうまれてくる。・・・ライフレッスン、マリアさんによかったところを、伝えたいと思っていたら、どのページもショッキングピンク(この色が好き)に染まって来ましたよ。ありがとうね。良寛さんもイエスさまも、時を越えて身近な人々の中におられるように感じます。
2006/10/24(Tue) 10:22 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。