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2006年09月28日 (木) | Edit |
土居 健郎 著「表と裏」弘文堂より(4)


顔と心の関係について述べたことは
そのままオモテとウラの関係に妥当する。

すなわちオモテは見えるが、
ウラはオモテのかげに隠れている。

オモテはただオモテだけを現すのではなく、
またウラを隠すためためだけのものでもなく、
ウラを表現するものでもある。

あるいはウラがオモテを演出している
と云ってもよい。


であるから人はオモテを見る時、
ただオモテだけを見るのではなく、
オモテを通してウラも見ている。

いや、オモテを見るのはもっぱらそこに
ウラを見るためだという方が
当たっているかもしれない。

このようにオモテとウラは概念的には
はっきり区別されるが、その実、
相互に密接な関係にある。

すなわちオモテなくしてウラなく、
ウラなくしてオモテなく、
両者は文字通り表裏一体である。

オモテとウラは別々に存在するのではなく
両者相俟って一つの存在を形造る。

一つの存在を認識する上でオモテとウラの区別
が生ずるのであって、この二つは分裂ではなく、
むしろ統一を示唆するということができるのである。


ここでこのようなオモテとウラの概念に
相当するものがあるかどうか見てみよう。

まず最初に連想されるのは現象と本質
という西洋伝来の哲学概念である。

現象とは知覚にとらえられた存在の様相を云い、
本質とは現象の背後にあってそれを規定している
特質を云う。

とすると前者はオモテ、
後者はウラに相当するということになろう。

同じように言葉の字面(ジヅラ)とその意味、
更に原文を意味するテキストとその解釈も
オモテとウラの関係にあると見ることができる。


次回につづく


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テーマ:心理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
木漏れ日
いいですね~こもれび~
私も好みです。

へら~っと明るいだけの絵にも
興味がもてませんですねぇ

2006/09/28(Thu) 17:58 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
大人になること
そうだと思います。

{大人になる}ということは、
表と裏が自己の中で統一されていること
だと考えられます。

たとえ自分の中に子どもの部分があっても
それが自覚されていると言うことです。


2006/09/28(Thu) 17:34 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
陰影礼賛☆
こんにちは☆

私、柔らかい光と影に、凄く魅かれますわ。
写真とか、絵画とか。映画でも☆

光を浴びてきらめく葉と、その木漏れ日って
詩情があって素敵ですわ♪

2006/09/28(Thu) 12:23 | URL  | マリア #-[ 編集]
わかりました。
{大人になる}ということは、表と裏が自己の中で統一されることなのですね?
2006/09/28(Thu) 09:04 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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