2006年08月28日 (月) | Edit |
嵐山光三郎著「徒然草の知恵」ダイヤモンド社より(5)


われわれは毎日あくせく働いては、金を稼ぎ
自分の家を建てようとしているわけで、

ちっぽけな建売り住宅のローンが払い終わったときは
定年を迎えることになる。死期をまじかにひかえて、

「いったい自分の一生はなんのためであったのだろう」
振り返るのである。


ーー人間の営み合へるわざを見るに、
春の日に雪仏をつくりて、
そのために金銀・珠玉の飾りを営み、
堂を建てんとするに似たり

ー人々がみな努力してやっていることを見ると、
ちょうど春の日に雪で仏を作って、
その雪仏のために金銀珠玉の飾りを作ったり、
お堂を建てたりしようとするのに似ている 〈第一六六段〉


「春の日の雪仏」とは、草庵の外の畑にあったのだろうか、
はかなく溶けてしまう雪仏が人間の営みの象徴なのである。

人間は、いくつになっても自分の寿命はまだあると
思いがちなものである。

八十歳を過ぎても、「まだ残したものがある」と思う。
会社には定年があっても、人生には定年はない。

意識とは別に、年月は容赦なく過ぎていき、齢をとっていく。
われわれの一生は、春の雪仏なのだ。そうだとわかっていても、
人間はやっぱりせっせと営みを続けていかざるを得ない。

この段は、いわれてしまえばミもフタもないことなのだが、
兼好が無常をはかなさととらえたときの、
もっとも基本的な人生観となっている。


次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
野のユリがいっぱい咲いています。
三人とも、コメントの言葉の奥の世界がひろがり、胸がキュンとして涙がでてきました。ブログの中で音を耳にし、空を駆けめぐって、旅をしてきました。手の中の雪仏がすべてとけぬうちに、今日の良き日にお別れを告げることにしましょう。おやすみなさい。
2006/08/28(Mon) 23:38 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
九寨溝(きゅうさいこう)
そうなんですよね。
ホントに水清きに魚棲まずなんです。
以前、NHKスペシャル
「水と森が生んだ奇跡~ 世界遺産 中国・九寨溝~」
を見て、水の色が様々な青色、に輝いていて
それはそれは美しかった。

でもそこには魚が一匹も泳いでいませんでした。

(なんでも水にカルシウム?が含まれていて
魚が生息できないのだそうです)

話はあらぬほうへどんどんいきますが、
そのとき流れていたサウンドトラックが
素晴らしかった。

私はNHKに問い合わせて、演奏家名ウォン・ウィンツァンを聞き出したのでした。

参考までにウォン・ウィンツァンのHPです。
http://www.satowa-music.com/cd/cd-kyusaiko1.html

九寨溝
http://www.arachina.com/heritage/jiuzhaigou/

ついでに申し添えますと
九寨溝のサウンドトラックもいいですが
ウォン・ウィンツァンの中では私のお気に入りは「FRAGRANCE (フレグランス)」です。

2006/08/28(Mon) 12:28 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
明日のことをおもいわずらうな
わたしは聖書の
「だから、明日のことを思い患うな。
あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう」
という言葉がとても気に入っています。

明日以降のことは
もうこれは人知を超えた神様仏様の領域だから
気にしないことにしています。

今日いまから寝るまでの一日を大切にする。
それ以外は考えないのです。

すると以外にも「空しい気持ち」にもならないのです。

2006/08/28(Mon) 12:24 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
きれいな水には魚が棲まない
 「無常は、はかない」という日本人独特の趣があります。結果論からいえば、人間、皆、死んでしまうので、あらゆるものは無に帰してしまい、地位も名誉も財産も、全ては無に帰してしまう。はかないものです。真に、はかないが、だからこそ、消えないうちに、価値を見い出し、はかなさ、無常に、真剣に取り組み、永遠の営みを見い出すのです。
 日本人は、結果論で考えないから、はかないことをポジティブに捉えるのです。桜は、はかなさの代表です。しかし、桜は、散るから綺麗なのです。日本人は「けじめ」や「潔さ」を第一に考えました。
 日本人は無常のなかに永遠の美を求め、一期一会と解釈しました。もう二度とは戻ってこない無常の機会を真剣に考えたのです。
 これは、輪廻転生論では、中庸的な視点であります。またこの世に戻って、蘇るために墓をつくり肉体を保存するエジプト的考えと、二度と戻ることのないこの世を不浄と捉えるインド的やり方の中間的な視点です。和を重んじる思想なのです。
 日本文化は、一瞬のなかに真善美を追求する文化なのです。この世は、嘘で穢れていて、悪に染まり、醜悪である。だからこそ、嘘から真をみつけ、悪から善をみつけ、醜から美をみつける文化を発展させることができるわけです。無常は救いなのです。
 主体的になって、悪から善を成すこと。これが人間の役目であり、そこに霊我という真善美を自主的に認識する器官の獲得の機会が得られるのです。
 はじめから、真善美があったとしたら、人間の役割は不必要です。神々は自らに似せた認識を与えて人間をつくり、汚い水のなかに送り込んだのです。この世を浄化するために、人間はあるといえましょう。だから、無常は美しいのです。
 このような大和魂、美学を現代の日本人は失ってしまいました。
2006/08/28(Mon) 10:47 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
春の日の雪像
おはようございます☆

お洗濯済ませてきましたわ!

・・・そうわかっていても人間はやっぱりせっせと営みを続けていかざるを得ない。

本当にねえ。。。私なんかもそうですわ。家事をこなし、特に何をするわけでもなく、1日があっという間に過ぎていって、その繰り返しですもん。
「虚しくない」といえば嘘になるけど。。

でも、そんな変わり映えしない毎日でも、楽しみはいろいろありますし、感謝もしていますわ





2006/08/28(Mon) 10:05 | URL  | マリア #-[ 編集]
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