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2006年08月26日 (土) | Edit |
嵐山光三郎著「徒然草の知恵」ダイヤモンド社より(3)


兼好の無常観から生まれた「もののあわれ」が、
独自の美意識につながっていく過程は、
季節の移ろいや風景について語るときによくわかる。

十九段、冒頭。

ーー折節(おりふし)の移り変わるこそ、ものごとにあわれなれ

ー季節が移りかわるのは、何事につけてもしみじみと情趣が深い


兼好は、春夏秋冬それぞれの季節よりも、
春から夏、秋から冬のように季節が移ろってゆく
その狭間にこそ、もののあわれを認めている。

(鳥の声なども格別に春らしく聞こえて、
のんびりとした日の光の中に、
垣根の草の芽が出る早春のころから、

しだいに春が深くなって、
あたり一面に霞んで、
桜の花も次第に咲き始める)

(ちょうどそのとき、雨風が続いて、
花は落ちついた感じもなく散り終わってしまう。
こうして青葉になってゆくころまで、

なにかにつけてあれやこれやと
ただ気苦労するばかりである)

これは十九段、「今ひときは心も浮き立つものは、
春のけしきにこそあめれ」に続く節である。

(なおいっそう心も浮き浮きしてくるものは、
春のありさまであるようだ)と書き出しながらも、
兼好は咲き誇る桜の花には触れていない。

第百三十七段の冒頭でも、

ーー花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは

ー桜の花はまっさかりなときだけを、月はかげりもなく
輝いている時だけを見るものであろうか

と記しているように、兼好にとっては従来の美学が
とらえていた、図柄が明確なもの
(たとえば春なら咲盛る桜)は感慨はもてない。

障壁画のように、
カチンとした景色ではなくて、
障壁画にもならずに、
絵と絵の間に漂っているもの、

はかない余情というものが、
兼好の価値観につながっていく。


次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
かわたれ時
一日が移ろってゆくその狭間の時
といえば明け方と夕方

よるが段々と明けてくる様子を描いた
福音館の「よあけ」という絵本には
たいへん感動しました。

かわたれ時とは
「彼(か)は誰(たれ)時」の意味
かれはだれだとはっきり見分けられない頃
はっきりものの見分けのつかない、
薄暗い時刻。

夕方を「たそがれどき」というのに対して、
多くは明け方をいう。

http://www.toshiba.co.jp/care/kids/books/yo01.htm


2006/08/27(Sun) 09:43 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
おはようございます☆

今朝、5時前に早くも目覚めてしまいまして。。。

移ろうといえば、思春期の(あるいは、それに指しかかりの)子って、子供と大人の中間で、まさに「狭間」を揺れ動いていて、なんともいえない魅力がありますわ。
『期間限定の一瞬の美』というか、と同時に悩み多き時期でもあり(当人がその自分の魅力に全然気付いていない!)それゆえ、はかなくも無防備で痛々しくもあり、逸れこそ『ものの哀れ』を、しみじみと感じますわ。。。



2006/08/27(Sun) 07:40 | URL  | マリア #-[ 編集]
桜の園
ある邸宅の広大な庭で桜の花見をさせてもらったことがある。やまんばはもう一度見たくて、一人夕暮れ、そ~と庭に忍び込んだ。昼間とは全くちがった世界が迎えてくれた。桜にはほのかな香りがあることを知った。庭の真ん中に佇み目を閉じると美しい桜の精にいだかれているように感じた。甘美な秘密な時。
2006/08/27(Sun) 06:50 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
おはようございます☆

確かに、移ろうその瞬間には、もののあわれというか何ともいえない寂寥感感じます。

季節でも、時刻でも、生きとし生きるもの全てに対して。。
昔から、夕暮れ時って、もの悲しくて寂寥感を感じますわ。
夏から秋に移り変わる今頃は、特にそう。。。
2006/08/26(Sat) 11:42 | URL  | マリア #-[ 編集]
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