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2006年08月22日 (火) | Edit |
至知選書「現代の覚者たち」竹井出版より(22)
対談 生きることは燃えることなり ――森 信三/平澤 興〈7〉


平澤 私はいまこの世の中に生きているというか、
これは全く不思議そのものだと思います。

人間は三十数億年前に地上に現れた原始的生物が
進化に進化を続けてできた素晴らしい存在で、
地上のみならず、全宇宙でも最高の生命ですね。

こういう過程はいまは大体わかるんですが、
しかし、その変化を起こす元の力はなにか
ということになるとね、わからないんです。


わからんが、そこまで来ると、
わからんということが、また有り難いのです。

それほど不思議な命をいま、
戴いておるわけですから。

森 そうですな。この地球上には人間以外にも
無数の生き物がおるにもかかわらず、われわれは特に、
人間として、この世に生まれてきたわけですから。

これは努力したわけでなくてね。
それなのに一切の生き物のうちで一番高い地位にある
人間としての生命を与えられておる。

それだけにどうしても、
それに値するような生き方をしなければね。

平澤 いま思い出したが、そういえば、この間、
こういう句をつくった。
「あな尊と 不可思議光のこの命 八十路の旅に 欣喜雀躍」

森 ああいいですね(笑)

平澤 仏さまは尊いけれども、
われわれ一人ひとりも仏さまなんですよ。
人間というものを研究すればするほど、そう思う。

不可思議光というのは決して不遜の言葉ではないと思う。
人間というものを知ったらね、やっぱり、不可思議光です。

森 ごもっとも。

人間は平凡だから、なかなか思うとおりにいかん。
私などもいたる所で失敗を重ねてきたが、
まあ余りくさらずにやってきました。

そう思うと、「ようやってきたな、有り難う」
という気持ちになり、
至らぬ自分を拝むことになるのです。

人も拝みますが
自分も拝む。

それは決して自分が完全であるとか、
偉いとかいう意味じゃない。

細かくいえば、へまばかりやって来たようですけれど、
まあそれでも、自分をごまかさないでやってきた。
ご苦労であったと、私が私にお礼をいうのです。

そのことはね、ちっとも私は不遜でもないし、傲慢でもない。
尊い人間に生まれてね、せめて自分にも手を合わせるぐらいの
感激を持たなければ、ぼくは淋しいと思いますね。


次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
錬金術者さんのコメントがみちがえるように
分かりやすくなって、とても嬉しいです。
ありがとうございます。

人間は死んだら、自分が感謝してきた部分,
「よお~く、がんばって生きてきたな」という
部分だけが残される。

なるほど、そうなんだ。
ナルシスト的なところが必要なのですね。
いまのところわたしには「私を褒めてやりたい」
というところが、なかなか見つかりそうもありません。

「いづれの行もおよびがたき身なれば、
とても地獄は一定 住処ぞかし 」

という、親鸞のように、地獄はわが住処(すみか)
と思っておいた方が、私にはよいかもしれません。

2006/08/23(Wed) 10:11 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
虎穴に入らずんば虎子を得ず
 人間は死んだら、自分が自分に対して感謝してきた部分だけが残されるといいます。つまり、「よお~く、がんばって生きてきたな」という部分です。
 その部分とは、自分と他とのつながりであり、いわば人間関係というべきものです。いわば自分を犠牲にして、自分以外のものに与えてきた部分です。ある意味、自分だけに拘った部分は、自分の殻の部分は、捨て去らなければいけない部分であり、自分に拘らずに、この世に与えた部分が、次の自分となるのです。
 ヘビやエビが脱皮するように、自分のなかの命も脱皮していきます。
 ヘビやエビがお祝い事に供えられるのは、この魂の脱皮を意味しているわけです。結婚や成人式後は、社会人として、共同社会をつくるには良い事ばかりではなく、辛い事があるだろうが、脱皮と思ってがんばりましょうということです。試練があるほど、磨かれるわけです。脱皮ができないと、魂はそのまま死んでいく存在(次の段階に進めない)になってしまうようです。
2006/08/23(Wed) 09:00 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
自分自身をイタワル・・・
これは、森 信三さん、
平澤 興さんの
最晩年の対談ですから・・・
ご苦労であったと、私が私にお礼をいうのも
分からなくはないですが・・・

マリアさんは、もう早くも
「よう、やってきたな有難う・・・」
と、自分自身を労いたい気持ちでいっぱいですかぁ

すごいなあ~

2006/08/22(Tue) 18:08 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
生き仏さん
世の中、なかなか思うとおりにいかん。
いたる所で失敗を重ねてきたが、
まあまあ余りくさらずにやってきた。

そう思うと、自分自身に
「ようやってきたな、有り難う」
という気持ちになり、
至らぬ自分を拝むことになるのです。

人も拝みますが
自分も拝む。

やまんばさんのおばあちゃんですか?
恐れ入りました。


2006/08/22(Tue) 18:00 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
感謝の気持ち。。
こんにちは☆

不思議ですわあ。。。よく考えると、こうして今、生きているのって。。

私も、森先生じゃないですが「よう、やってきたな有難う・・・」
と、自分自身を労いたい気持ちでいっぱいですし、
同時に、廻りの人達にも感謝の念が沸き起こってきますわ。

2006/08/22(Tue) 12:18 | URL  | マリア #-[ 編集]
やまんばのおばあちゃん
母が仏壇にお饅頭を、お供えしようとしたら、おばあちゃんが、自分を指さし「まずは、生き仏さんから。」と、両手を差し出していたのは、こんな気持ちからだったのかなあ***。日本昔話に出てくる、おばあちゃんそのものの顔をしていたっけ。
2006/08/22(Tue) 09:53 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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