2006年08月03日 (木) | Edit |
至知選書「現代の覚者たち」竹井出版より(13)
八十歳になっても人間の成長はこれからである ――平澤 興〈6〉


平澤 それでね、私はね、予定していた話を
変えて申しました。

「実は今日、新郎と初めてお会いしたが、まず、
自分の顔を持っておられることを嬉しく思いました。
要領が悪いというようなお話もあったが、いかにも、

私の若いときのことをいわれているような気がします。
私は四十年間、筋運動の研究をやってきたので、
笑っておっても、怒っておっても、

その人の本来の表情がよくわかりますが、その点、
今日の新郎はいかにも素晴らしく私は心をうたれている。


これは四十年間、運動神経をやってきた
私がみてのことだから、人相観よりもっと確かです。

要領が悪いかもしらんが、これこそが本物である
ということの証拠であって、
そこにあなたの魅力があるのです。

それはあなたの素晴らしさの証拠であり、
決して賢い人の真似をしたり、
要領のよさなんて身につけることはない。

あなたの要領の悪さということこそが、
あなたの生真面目な生の姿なんだから、
それを成長させなさい。
あなたの将来は私が保証します・・・・・・」

みんな目を丸くして聞いていましたね。
でも、これはお世辞でもなんでもなく、
私は信念を持っていっているんです。
いやぁ、親が喜びましたね。

ーーいい話です。

平澤 ・・・誉めるにしても、ただ表だけを
みておるような誉め方ではだめなのです。
誉め方も、裏までみえるような人でないと、
本物の誉め方ができないのです。

誉めるには、こちらが、それだけの行を
していなければならない。愛情だけじゃ、あかん。
だから、誉めるなんて、そう簡単なことではないのです。


結局、人の欠点が目につく間はまだだめです。
それらの欠点が「飾り」にみえるように
なれば本物でしょう。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
けなすと心がしょげる
そうか、利己心やエゴからけなすと
心がしょげて、元気がなくなる。

本当に相手を思って「苦言」を言うときは
そんなことにはならない。

なるほどね~
2006/08/03(Thu) 17:54 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
長所と短所は紙一重
「誉めるには、こちらが、それだけの行を
していなければならない。愛情だけじゃ、あかん。
だから、誉めるなんて、そう簡単なことではないのです。」

「修行」ということなんでしょうね。



2006/08/03(Thu) 17:50 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
この犬の歯は美しい
錬金術者さん素敵なコメントありがとう。

キリスト 犬の死骸で検索したら、下記のサイトを
みつけました。


 自分のものとすべき特別重要な性質は
「肯定的なとらえ方」である。

全ての事物の善良で、美しく、目的に適った面に
注目する時、進歩する。非難すべき点、醜い点、
矛盾に注目する時、人間は退化する。
この肯定的なとらえ方を美しく語っている
ペルシャのキリスト伝説がある。

「犬の死骸が道に横たわっており、
その道をキリストが通って来られました。
誰もが目を背けた犬を見てキリストは
『何と美しい歯だろう』と感心されました。」
 
どのような事物に対しても真の求道者は
事物に欠けているものを見出すのでなく、
称賛すべき点を見出す。

↓めろんぱん よりすぐりメルマガサイトより転載
http://www.melonpan.net/letter/backnumber.php?back_rid=376499
2006/08/03(Thu) 17:36 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
やまんばが誉めるには理由があるのです。
それは、おもしろいことに気がついたからです。誉めるとやまんばの心が喜び、元気になり、けなすと心がしょげて、元気がなくなるのです。本当に相手を思って言うときはそんなことにはならないから、不思議です。ためしにやってみてください。こんなことから、やまんばは、人の心も数学みたいと感心する理由です。
2006/08/03(Thu) 16:10 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
裏までみえる褒めかた
こんにちは☆

欠点のまるっきりない人がいないのと同様
いいところの、全然ない人もいないし

ある人からは美点に思われるこが、ある人から見ると
欠点に思えることもあるし

好き嫌いだけが先行して、なかなか相手を認められないことも、人間誰でもあるでしょうし。。。

長所と短所は紙一重ですね☆
2006/08/03(Thu) 15:32 | URL  | マリア #-[ 編集]
醜悪のなかに美がある
 あるとき、キリストが、弟子と歩いていたとき、道端に犬の死骸が転がっていました。弟子たちは思わず、顔を背けたのですが、キリストだけは、死体をじっとみて、「この犬の歯は美しい」といったという。
 禍福は糾える縄の如しともいいますが、福もまた、災いのなかにあるのでしょう?災い転じて福となすというように…。
 お釈迦様がいったように、汚い泥のなかに咲かせる花だからこそ価値があるのかもしれません。
 他者を非難するのは、利己心やエゴからくるのかもしれませんね。美をみつけようとすれば、みつかるもんかもしれません。実はみつけようとしていないせいなのですね。
2006/08/03(Thu) 11:50 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
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