--年--月--日 (--) | Edit |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2006年07月26日 (水) | Edit |
至知選書「現代の覚者たち」竹井出版より(5)
真理は現実の唯中にあり ――森 信三〈5〉



ーー「言霊(ことだま)」って言葉がありますね。
あれはどういうふうに解釈されますか。

森 文字通り、命の根本は魂だ、
ということでしょうね。
大体、古代語は単純明快ですな。

細工が入らん。
いいかえると、論理はいらん。


現代の覚者たち (致知選書)現代の覚者たち (致知選書)
(1988/06)
森 信三関 牧翁

商品詳細を見る


ーー逆にいうと、真理ってのは単純なんでしょうね。

森 そうです。真理ほど単純明快なものはない。
ところが、西洋哲学が入ってきていろいろとね・・・・。

ーー先生の説かれている「しつけの三原則」
なども単純ですものね。

森 その通りです。

一、朝、必ず親に挨拶をする子にすること。
一、親に呼ばれたら必ず、「ハイ」とハッキリ
返事のできる子にすること。
一、ハキモノを脱いだら、必ずそろえ、席を立ったら
必ずイスを入れる子にすること。

じゃ、このしつけのコツはというと、まず、母親自身が、
ご主人に対して朝の挨拶をハッキリするようにし、
また、ご主人から呼ばれたら、必ず「ハイ」とはっきりした
返事をするように努力することです。

ーーああ、母親自身が。

森 この「ハイ」という一語によって、
その人は、「我」を捨てるわけです。
つまりそれまでの意地や張りの一切を投げ捨てるわけです。

同時に、それによって当の本人はもとより、
一家の人びとの雰囲気までが変わりだす。

昔ね、登校拒否の中学生をもって困り抜いていた
お母さんから相談を受けたんですがね、
その解決法は一つあるだけで、

それは明日からあなたがご主人によく透る声で「ハイ」
と返事されることですといった。その人はその透り
したんでしょう。

その子どもはその後十一日目にはもう登校しだした
とのことでした。「ハイ」という言葉が本当にいえたら、
非行少年でも徐々に変わってくる。

ところが、本当に「ハイ」がいえる婦人は
百人のうち、二、三人じゃないかな。

表現を変えればね、これだけの俸給を得るために、
主人がどれほど下げたくない頭を下げ、
いいたくないお世辞をいっているかーー

ということのわかる奥さんにして、
初めて真に聡明な母親となるわけです。


次回につづく


↓↓↓あなたの応援↓↓↓(1日1クリック)お願いします。

にほんブログ村 哲学ブログへ人気blogランキング精神世界 ランキング

スポンサーサイト
テーマ:小学生の子育て♪
ジャンル:育児
コメント
この記事へのコメント
やまんばさん
おはようございます
え~っ!「白百合」だなんてお恥ずかしいやら何やら。。。片腹いたいですわ。
でも、どうもありがとう。すごく嬉しいです!
2006/07/27(Thu) 10:11 | URL  | マリア #-[ 編集]
いいですね~
ブログの内容もいいけど、コメントがおもしろい。それぞれ特徴があって、ワクワクしました。「はい」の一言にそれだけ大切な意味があるとは知らずに使っていました。それから、ある言葉を繰り返しとなえるとトランス状態にはいる・・・これもすごい!マリアさんは白百合みたいよ^^。錬金術者さんの最後の言葉、光っていました。なんか、今日のコメント、素敵だなあaaaaaa.
2006/07/27(Thu) 07:00 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
ハイ!
この「ハイ」という一語によって、
その人は、「我」を捨てるわけです。

つまりそれまでの意地や張りの一切を投げ捨てるわけです。

というのはすごいことですね。
わたくしも 声をかけられたら「ハイ」と返事を
するようこころがけます。

2006/07/26(Wed) 17:48 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
真言を唱えるのは
真言密教の「求聞持法」(虚空蔵菩薩求聞持法教)の修行
では虚空蔵菩薩の真言(口伝)を百万回唱えます。

「法に依って此の真言百万遍を誦すれば、
一切の教法の文義を暗記する事を得る」

「求聞持法」を修すれば頭脳明晰、記憶力抜群になる、
というのですね。

行法の詳細は知りませんが、行のメインはなんといって
も「虚空蔵菩薩の真言を百万遍となえる」ことでしょう。

これは普通に社会生活をしている人にはほとんど
不可能な行ですね。

百日だと一日、一座一万遍唱える計算になります。
ポピュラー?なのは五十日コース(一日二万偏)、
日蓮は12才の時に21日間で修されたといいます。
これだとまったく不眠不休で行をしたのでしょうね。

虚空蔵菩薩の真言にはさまざまな説があるようです。

ノウボウ アキャシイ ギラバヤ オンマリキャ マリボリソワカ とか
オン バザラ アラタンノウ オン タラク ソワカ という説
ナウボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリ キャマリボリ ソワカ という説
オン バサララタヤ ウンナム アカーシャ ラバ オン アミリキャ アリボ ソワカ という説などなど

ということは、真言そのものがさほど重要ではない、
とも取れます。

人間は同じ動作、同じ言葉を繰り返していると
トランス状態に入ります。

その時その人がいい心境であればグット・トリップをし、
悪いい心境であればバット・トリップで苦しむことになるでしょう。


ある言葉を一日中、繰り返し五十日~百日唱えていると
相当深いトランス状態に入ることでしょう。

そのときポジティブシンキングができれば、
ものすごい能力開発ができるかもしれません。

しかし、ネガティブシンキングであれば
発狂することも十分考えられます。
2006/07/26(Wed) 17:39 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
「ハイ!」
おはようございます

「ハイ」とよく通る声でいう。。。
そういう人は見ていて気持ちがいいですね。
こっちの方まで、気分が爽やかになります。
身をもって教えられるというか。。

素直に元気に、返事のできるよう
心がけていきたいと思います!
2006/07/26(Wed) 10:41 | URL  | マリア #-[ 編集]
なぜ口伝されたのか?
 言葉は、書き言葉にしてしまうと、味気ないです。古代人は、書き言葉にすると、死んでしまうと考えていました。言霊をその通りに解釈していたのです。言葉の内容もさながら、言葉を発する呼気、呼吸、更には発する無意識、超意識下を含む魂なるもの全てが、言葉なのです。古代人は、自分が神(言葉)を伝達する媒体だと自覚していました。そのために、修行もしたのです。
 日本人には、まだこの感覚が多少は残っていて、発言内容よりも、発言者そのものを吟味する習慣があります。立派な事を言っていても本人がその言葉に価する存在でなければ、なんら信用は得られないばかりか、かえって疎まれたのです。昨今は過大広告、虚偽宣伝のせいで、言葉が独り歩きし、この習慣もなくなってしまってますが。偉い事を言ったからとて、成したわけではないのです。これは論理が行き過ぎた欠点です。
 真実はあまりに単純明快なので、その極意は、体験をしてみないとわからないようになっているようです。例えば、武術の口伝にしても、歌や詩にして、伝えるのですが、その極意に達するほどの修行をし、体験してみないと、わからないような工夫になっています。
 その体験のないものには、陳腐で取るに足らない単なるお遊びだと勘違いしてしまうのです。神話や童話にはこのような極意が沢山隠されているのです。だから、判る人が聞けばすぐに判るというような、いわゆる暗号、合言葉になっているのです。だから、口伝しか意味がないのです。
 修行僧が、真言を唱えるのは、導師そのものの気持ちを自ら育み体験する意味があるようです。勿論、論理も内容を判断するのには有効ですが、論理のみではなく、直観がこれから必要になる時代がくるでしょう。あまりに論理が先行すると、体験がついていかなくなり、頭でっかちで、判らず屋になってしまいます。私も判らず屋にならないように注意したいです。
2006/07/26(Wed) 10:29 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。