2006年07月14日 (金) | Edit |
養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(2)

一人称の不思議

自分を表現する日本語は数多い。
ワタシ、ワタクシ、オレ、オイラ、ボク、小生、
時代劇なら拙者、身共(みども)、それがし、などなど。

英語にかぎらず、たいていの言語では、
自分を表現する言葉は一つで済む。

なぜ日本語には自分を示す言葉がたくさんあるのか。
たくさんあるということは、じつは「定まった私」
なんて、ないということではないのだろうか。


ジブンという言葉は、
関西弁では相手をさすことがある。

「ジブン、ニンジン嫌いやろ」

などと、相手を指していう。
関東で育った若者は、ひょっとすると、
なんのことやら、意味がわからないであろう。
むろんこれは、

「アンタ、ニンジン嫌いだろ」

という意味である。それならジブンは同時に
アンタという意味である。

これに類する使い方は、ほかにもある。
「手前」という言葉がそうである。
江戸の店屋の番頭が揉み手をして、

「手前どもでは」
という光景なら、
テレビの時代劇でやっているであろう。

ところが下町の喧嘩になると、
「テメー、この野郎」
ということになる。

このテメーは当然「手前」に由来するわけで、
それならここでも、
俺とお前は同じ言葉なのである。

「己れ自ら」というときの「おのれ」は自分だが、
侍が怒リ狂うと「おのれ、許さん」とかいって、
刀を振り回したりする。後のほうの「おのれ」は、
テメーこの野郎、のテメーと同じであろう。

あるいは小さい子に対して、
「ボクちゃんだめよ、そんなことしちゃ」
と叱っているオバさんがいる。

ここでのボクも、アンタという意味である。
これを外国人に説明しようと思うと、
いささか頭痛がしてこないだろうか。


要するに日本語では、
俺とお前はどんどん行き来する。

こんな言語がほかにあるかというのは
ほとんど愚問であろう。
少なくとも私は、探す気にもならない。


次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
自分を名前で言っている
よくちいさなこどもが自分を名前で言っていますね。

よったんはわるくないの
手がおいたをするの、なんてね。
いたずらを、手のせいにしたりして。

引き続どうぞお楽しみください。m(u u)m
2006/07/15(Sat) 13:51 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
俺もおめえも
こころこさんごきげんいかがですか

俺もおめえもいっしょの日本に
西欧的自我が乱入してきました。

これがいろいろ厄介な問題を引き起こします。

つづきをどうぞお楽しみください。


2006/07/15(Sat) 13:27 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
いわれてみると・・
同じ相手でもその時その場で変化しているのに気が付きます。感情移入、関係の種類や、親しみの距離ナドナド。やまんばは、ごくごく親しい人には、いまでも自分を名前で言っているようです。(話に夢中になると)最初は外でも親しくなるといってたようですが、一度そのことを指摘され、すごく注意するようになりました。自分の世界と世間を区別した最初の言葉が、自分の呼び方だったと記憶しています。このブログにでてくる各自の名前もおもしろいね。案外本質が無意識に働いて付けられているかも。^~^
2006/07/15(Sat) 07:33 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
たしかに、、、日本語ってめちゃくちゃかも。
俺もおめえも、どんどん行き来して平気で使ってますね。
改めて指摘されるとなんて不思議な言語。

てことは、、なんなんでしょう??
私は何??
自分て何??

ろくさま、続きを楽しみにしています。
2006/07/14(Fri) 16:51 | URL  | こころこ #-[ 編集]
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