2006年07月08日 (土) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(13)


法然をひとことでいえば、
大秀才といっていいでしょう。

仏教の文献を集めた膨大な叢書「大蔵経」を
三回読んだといわれていますし、
比叡山で法然が学んだ師たちも、

みな法然の学力に舌を巻いたというのですから、
秀才中の秀才でしょう。


この法然が勉強に勉強を重ね、修行の果て、
人間というのは愚かなものだという心境に
達するのですから面白いものです。


自分のようなバカ者はいない、と徹底して
自分を反省したのが法然という人でした。

自分の能力を徹底して否定したときに、
阿弥陀仏による救済、いわゆる他力というものが
ポッと出てきたということでしょう。


法然は十三歳のときに比叡山に上がり、
勉強、修行を続けていくうちに、おそらく大きな
壁にぶち当たったのだと思います。

その壁にぶち当たったときに、善導の観経疏、
つまり観無量寿経の注釈書に出会い、
これだ!と目を見開かされたということです。


経典の言うのは難しいものです。
その難しいものを読んで読んで読み込んで、
その果てに自分はダメだとまで思い込んだ。

だから専修念仏、もっぱら念仏を修める、
とうところに焦点を絞り込めたのだと思います。

それだけ苦悩していたからこそ、
他のものは全部捨てなさい、
南無阿弥陀仏だけを唱えていればいい、
ということができたのでしょう。

・・・・・・
その法然という人は、
最期まで愚にものすごく憧れ、
そうありたいと願ったけれども、

最期まで愚になれなかった人
ではないかという気がします。

法然は日本だけではなく、仏教史全体を通して、
出家した人に向かって、正式に結婚してもいい
といった最初の人物でした。

当時、これほど思い切った考えというものは
なかったでしょう。ところが、自分は
最後まで結婚しなかった。ここが問題なのです。

女房がいなければ念仏に集中できない人は、
女房を持ちなさい、といっていながら、
私自身は女房をもちません、とこうなるのです。

そこのところが、いまいった
愚に徹し切れなかったというところなのです。


それに徹しきれたのが弟子の親鸞でしょう。
徹したというか、横に女房がおらんと、
わしはいくら念仏しようと思っても、

女の裸がちらついてどうしようもない、
ときわめて素直に認めた人で、
私はそこが大いに気に入っているわけです。


次回につづく


↓↓↓あなたの応援↓↓↓(1日1クリック)お願いします。

にほんブログ村 哲学ブログへ人気blogランキング精神世界 ランキング

スポンサーサイト
テーマ:哲学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
「馬鹿殿」とは褒め言葉
なんですかぁ しらなかったです。

切れ者であっては、たちまち叩かれる。
日本の風土は出すぎた釘を叩く風土。

たしかにたしかに




2006/07/10(Mon) 17:49 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
単なる馬鹿が愚ではない
 流石に親鸞の師の法然ですね。大愚というのは賢者のみがなれるものだと思います。江戸時代に「馬鹿殿」という言葉が流行ったようです、これは、志村けんで有名な単なる馬鹿の意味ではないのです。実際、志村けんも物凄く頭のいい人だから、あのように他者を笑わせることができるのでしょう。馬鹿ではなくて賢者なのです。
 実は「馬鹿殿」とは褒め言葉なのです。江戸時代、徳川家は、何か反旗事でもあれば、外様大名を叩き潰そうと手薬煉をひいていたようで、切れ者であっては、たちまち叩かれるわけです。日本の風土は出すぎた釘を叩く風土なのです。そこから武士道が生まれたわけなのでしょう。
 法然は、自分は妻帯しないけど、他の人は勝手だというのは、まさに、大愚のなせる業だと思います。そこにいくと、親鸞は、やや中途半端な愚だと思います。中途半端だからこそ、悪人正機説を生み出せたのでしょう。
 馬鹿を極めることは賢者に通じるのです。単なる馬鹿で開き直っているのは、阿呆です。更に、馬鹿を否定するのは、もっと馬鹿です。
 「知る者は語らず」と老子にあるようなものだと思います。
 賢さも愚かさも極めれば道1つでしょう。ただただ、生命は、毎日の積み重ねなのでしょうね?
2006/07/10(Mon) 12:14 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
hideさん
コメントありがとうございます。

法然はとても魅力的ですね。

「一枚起請文」「横川法語」いまから勉強します。

素人でもわかるようなサイトがあればご紹介ください。
これからもよろしくお願いいします。m(_^_)m

一枚起請文 ↓
http://www15.ocn.ne.jp/~satori/memo/memo11.html

横川法語 ↓
http://www.gem.hi-ho.ne.jp/sogenji/hitokuchihouwa/yokawa-hougo.htm
2006/07/09(Sun) 10:51 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
第十八願
が、阿弥陀仏の四十八願の中心的なものであるとは
知りませんでした。
勉強することが沢山あって楽しみです。
2006/07/09(Sun) 09:34 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
求めよ、さらば与えられん。
ろくろくさん、昨日はやまんばの質問にさっそく答えてくださってありがとうございます。少しずつ、かならず目を通しておきます。お世話になりました。
2006/07/09(Sun) 07:32 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
法然は、大好きです。一枚起請文を空で覚えているほどです。
ところで、「大蔵経」を三度も読みながら、結局は一編の注釈書で安心をえるとはおかしなものです。
そんなものなんでしょうね。
今は、「歎異抄」がそれにあたるかもしれません。
三部経を何度読んでも、「歎異抄」を読むような感激はないですからね。
「横川法語」なんかも、短く、かつ意味が深いですね。
2006/07/08(Sat) 18:35 | URL  | hide #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック