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2006年07月07日 (金) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(12)


阿弥陀仏の前世物語が出ているのが、
浄土三部経の中の「無量寿経」で、
この中に四十八願というものが出てきます。

これは浄土真宗の中心となる経典といって
いいでしょう。この中身を簡単にいっておきます。


昔、あるところにひとりの王様がいた。
その王様が、なんとか自分の治めている国の
国民を幸せにしたいと努力したが、

片一方が幸せになると片一方が
どうしても不幸になってしまう。




たとえば高齢化社会の中で、
老人の福祉を手厚くすれば若者は腹を立てるし、
若者を優先しすぎると老人が困るというように、

このようなことはあらゆることにいえます。
政治というものにはしょせん限界があるわけです。

そこで、いったいどうしたらすべての者が
幸せになれるのだろうか、
と考えるために自分が出家をしました。

その出家したときの名前を法蔵といいます。
サンスクリット語ではダルマカーラです。

この法蔵は、世自在王(せじざいおう)という
仏のもとで一生懸命修行をしました。

そのとき世自在王仏に、どうしたら私は
すべての人を幸せにできるでしょうかと問うと、

では、いままでに仏たちがつくった仏国土が
どんなところか見せてやろう、
ということになって見せてくれました。

それを見た結果、
それでは私も自分の国をつくりましょう、
という願を立てたのです。

そのとき立てたのが四十八の願いで、
四十八願といわれるものです。
これを“本願”ともいいます。

この願を成し遂げることによって、
ついに阿弥陀という名の仏になることができた、
ということが述べられている経典です。


自分はこういう願を立てます、そのかわり
自分が立てた願を成し遂げるまでは、

自分ひとりだけが勝手に仏になる
ようなことはいたしません、
というのが願の意味です。

・・・・・・
誓った願をすべて完成した結果、
仏になったのが阿弥陀仏なのです。
ですから逆にいうと、

もうすべての願を完成したわけですから、
すでにわれわれは救われているという
結論になってくるわけです。


次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
四十八願 分かりやすく解説頂きありがとうございます

早速図書館にいってもうちょっと勉強してみます
2011/09/13(Tue) 16:43 | URL  |  #-[ 編集]
みなさん念仏してください!
2008/11/06(Thu) 17:09 | URL  | おけら #-[ 編集]
阿弥陀仏の四十八願
の代表が「第十八願」のようです。

至心信楽の願

漢文
設我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念若不生者不取正覚唯除五逆誹謗正法
浄土真宗聖典(注釈版)
 たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。
現代語版
 わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。

世尊よ。もしも、わたくしが覚りを得た後に、無量・無数の仏国土にいる生ける者どもが、わたくしの名を聞き、その仏国土に生まれたいという心をおこし、いろいろな善根がそのために熟するようにふり向けたとして、そのかれらが、――無間業の罪を犯した者どもと、正法(正しい教え)を誹謗するという(煩悩の)障碍に蔽われている者どもを除いて――たとえ、心をおこすことが十返に過ぎなかったとしても、〔それによって〕その仏国土に生まれないようなことがあるようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。

『無量寿経』(梵文和訳)/岩波文庫 より
(後半部が漢文第十八願に相当)

http://www2.big.or.jp/~yba/teach/hongan18.html
↑より転載
2006/07/08(Sat) 12:35 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
自分を、考えなければ・・・
自分を考えなければ、救われている

クリシュナムルティは「思考」を止めることだ
と繰り返し繰り返し語っています。

今、眼の前で起きていることを
無批判に観察すること・・・・・・


2006/07/08(Sat) 09:38 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
本願?
本願の内容は、いまから教えてくださるのですか?四十八も願いがあったのですね。すべての人を救うことの出来る願い。やまんばも知りたいです。それとも知らなくてもいいのかなあ。もう、すべての願が完成されて我々は救われていると書かれてあるのだから。ピンとこないけど、なんだかありがたいお話ですね。
2006/07/08(Sat) 07:08 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
すでに救われている?
 実は皆、救われているというのは本当のようです。私たちは日々、自分のことにのみ拘っていて、自分の内面をみています。この自分という自分を、考えなければ、実は救われているといえるようです。
 ただし、人生において、この私をどこに置くかが問題ですね?
2006/07/07(Fri) 12:01 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
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