2006年07月05日 (水) | Edit |
藤原正彦著「国家の品格」新潮新書より(8)


それではどうしたら良いのでしょうか。

一つの解決策として私が提示したいのは、
日本人が古来から持つ「情緒」、
あるいは伝統に由来する「形(かたち)」、

こうしたものを見直していこう、
ということです。

・・・・・・
論理とか合理を「剛(ごう)」とするならば、
情緒とか形は「柔(じゅう)」です。

硬い構造と柔らかい構造を相携えて、
はじめて人間の相互判断は十全のものとなる、
と思うのです。


自然に対する感受性

それでは日本人の持つ情緒や形というのは、
どういうものでしょうか。

まず真っ先に言えることは、
自然に対する繊細な感受性です。

かつて日本に長く滞在した外国人たちは、
一様にそのことを指摘しています。

昭和の初め頃、東京のイギリス大使館に
ショージ・サムソンという外交官がいましたが、

その奥さんであるキャサリン・サムソンという人が、
「東京に暮らす」(岩波文庫)という本を書いております。

このサムソン夫人は昭和一桁の時代、
八年くらいを東京で暮らしました。


彼女の本を読みますと、「自然の感受性や美を感じる心
という点で日本人に勝る国民はいないでしょう」
と書いています。

一時帰国した彼女が、日本に戻る船で
富士山を見た時のことです。

「富士山はむしろ夢であり、詩であり、
インスピレーションです。久しぶりに見た瞬間、
心臓が止まってしまいました」と嬉しいことを
書いてくれています。

・・・・・・
サムソン夫人が感動と共に記している
ことの一つに、日本の庭師の話があります。

イギリスの庭師の場合、例えば「楓(かえで)を
庭のあそこの植えてくれ」と注文すると、
言われたところに穴ぼこを掘って、

楓をポンと植えて、
お金を貰って帰ってしまう。

ところが日本の庭師の場合、
まず家主の言うことを聞かないと言う。

あそこに植えた方が良い、
などと逆に提案してくる。

そして一本の木をあらゆる角度から眺め、
庭師自身もあっちこっちに立ち位置を変え、
目を丸くしたり細めたりして、

散々に見た後、最も美しく、
最も調和のとれた所に、弟子たちに
身振り手振りで指示を与えて植えさせる。

日本の庭師というのはオーケストラの指揮者
のようだ。「見ていてわくわくする」
と書いています。


日本人の繊細な美的感受性に感動しているのは
サムソン夫人だけではありません。

日本に少し長く逗留し、
滞在記を記した外国人の多くは、
それを絶賛しています。


次回につづく


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テーマ:日本文化
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
そういえば短期間ですが、
華道を習っていたことがありました。

枝や茎を切りすぎたり、切らなすぎたり、
枝の曲がり具合が、自分のイメージとは違っていたりすると
収まりがつかなくなったり、

バランスよくまとまったときは、
それはそれはたのしかった。


2006/07/06(Thu) 09:23 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
庭師の気持ち、やまんばなりにわかる。
山の中に住むやまんばも、時々興にのってやまんば流に花を生ける。枝が奇妙にゆがんだのやら、素直に真っ直ぐ伸びてるもの、短いのに力を感じさせるもの。身近な季節の花々。塊にしたり、線をいかしたり、色をハモったり、ああでもない、こうでもないなんて。たいていいじりすぎて植物に気の毒してしまう。だが、たまにすっきり決まると、やまんば悦に入る。「そうだ、これぞまさしく、宇宙の法則を生けたなり・・・。」なんてね。だってね。植物それぞれに性格があり、お互いを生かすところに生けてあげないと仕上がりがザワザワしてなんとも落ち着かないのです。
2006/07/05(Wed) 16:34 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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