2006年06月24日 (土) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(8)


私がアメリカにいたとき、
なんともすばらしい体験を
したことがあります。

なんと三つの子どもに、
「南無阿弥陀仏」という念仏の意味を
教えられたのです。

アメリカの大学で教えながら、
土曜日と日曜日だけは小さなお寺の住職をして、
サンデースクール、日曜学校を開いていました。

幼稚園児ぐらいの子から、小学校の子どもまで
数十人集まってきました。
その子たちに英語で話をしたのです。


子どもに話すというのは、かみくだいて、
さらにかみくだいて話さなければならない
のですから大変です。

そのときどうにもならなかったのが、
「南無阿弥陀仏」の翻訳です。
訳しようがないのです。

「帰命無量寿如来、南無不可思議光」などと、
お経をそのまま引用しても仕方ありませんから、
まあ、いつかは分かってくれるだろうと、
そのままにしておきました。

・・・・・・
いよいよ日本に帰るという最後の日曜日でした。
子どもたちに向かって、

「先生はいままでいろいろな話をしてきたけれども、
ひとつだけ心配なことがあります。それは、毎週毎週
『なむあみだぶつ』といわせてきたけれども、

この『なむあみだぶつ』の意味がわかっているか
どうかです。誰か、その意味がわかりますか」

といったら、一番前に座っていた、
まだ三つの男の子が、「センセイ」
といって手をあげました。

「なむあみだぶつ・ミーンズ・サンキューブッタ」

こういったのです。
なむあみだぶつは、ありがとう仏さま、
でしょうと。

こんなにすばらしい翻訳があるでしょうか。
まさしくその通りなのです。

それまでのいろいろな話を聞いて、結局、
「なむあみだぶつ」はそういう意味だろうと、
直感的に思ったのです。

大人はどうしたって理屈が先にたちますから、
なかなかこうはいきません。
見事な答えだと思いました。

親鸞の「南無阿弥陀仏」という念仏は、
まさしく、自分が“生かされている”
ことに対する感謝の言葉なのです。


次回につづく


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テーマ:哲学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」でしたか

三つのたいせつなことは

瞑想することができる
断食することができる
待つことができる

待つことができないで、すぐ結果を求める人が多すぎます。


2006/06/25(Sun) 10:09 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
良い先生ですね。
この三歳の子供は、いつも先生を見て、聞いて、触って、じーと、感じていたのだと思います。まあ いつかはわかってくれるだろう、、、。子供たちを信頼して「待って」くださった。おのおのの子が理解する。それには、時という魔法が必要みたいですね。
2006/06/24(Sat) 15:23 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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