2006年06月14日 (水) | Edit |
竹内一郎著「人は見た目が9割」新潮新書より(5)


私たちは、
「本をたくさん読む人」の中に、
人望もなく、
仕事もできず、

社会の仕組みが全く理解できていないと
思える人がたくさんいることを知っている。

七%の情報の中で生きている、あるいは、
自分が重視していない九十三%と、
自分が愛する七%との関連付けが行われないまま、
「世渡り」をしているとおぼしき人である。

そういう人と接すると「言葉が地に着いていない」
あるいは「言葉が宙に浮いている」と感じる。


表現を変えれば、
確かに理屈は正しいのだが、
理屈しか正しくない人たちーー。

私たちは、そういう人の意見を聞くと、
こんな反応をしたくなる。

「あなたの言うことの意味は分かるけど、
あなたに言われたくない」

言葉主体の「コミュニケーション教育」の申し子たちは、
七%を見て九十三%を見ない(そういう人も
「木を見て森を見ず」という言葉は知っている)。

とはいいつつ、
九十三%がいかに大切かを説いている私も、
分が悪いのを実感せざるを得ない。

何しろ、書物は「言葉」で
書かなければならないのだから。


教育の陥穽(かんせい)という観点から、
一つ補足する。

私たちは、子供の頃小学校の先生に
「人を外見で判断してはいけない」
と教えられた。

それは「人は外見で判断するもの」
だから、そういう教育が必要だったのだ。

逆に言うなら、「人を外見で判断しても、
基本的には問題はない。ごくまれに、
例外があるのみである」といってもよい。


動物行動学者デズモンド・モリスは、
「マンウォッチング」(小学館ライブラリー)の中で、
動作の信頼尺度を作っている。

他人から受け取る情報のなかで、
一番嘘を言わないのは何か、
ということである。

モリスによれば人間の動作を信頼できる順に
並べると次のようになる。

①自律神経信号
②下肢信号
③体幹(胴体)信号
④見分けられない手ぶり
⑤見分けられる手のジェスチャー
⑥表情
⑦言語

自律神経信号というのは、
緊張して動悸が激しくなったり、
汗をかいたりすることである。

これが一番信頼できる。
というより、嘘がない。

ここでも最も信頼できない情報が言語
であるとされている。
言葉では簡単に嘘がつける。

その次に嘘がつきやすいのは、表情である。
つまり、顔を見ているだけでは、
相手の嘘が見抜けないのである。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
やまんばさま肝に銘じます!
流石、やまんばさまは、言葉の裏側を読むお方ですね。どうも私の性分で、無知の知もわからずに、偉そうな態度の、肩書き持ちの方に、毒ついてしまうんですね。とくに日銀総裁の肩書きをもちながら、裏に手を染めていたり、どこぞの経済大臣なども学者先生で、浮世はほとほと嫌になります。学者先生がしっかりしなくて、誰が一体、しっかりするのでしょうという裏返しなのですよ。愛のムチみたいなものです。
2006/06/15(Thu) 10:56 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
真言は不思議なり
碌々(ろくろく)ブログも 言葉という
最も信頼できない(つまり誤解の多い)
七%の情報がベースになっていることを、
いつも自覚しておくことが大切です。

しかしながら、真言宗の開祖弘法大師空海は
彼の著書「般若心経秘鍵(はんにゃしんぎょう-ひけん)」で、

「真言は不思議なり、
観誦(かんじゅ)すれば
無明(むみょう)を除く。
一字に千理を含み、
即身に法如と証す」

(以下ろくろく意訳)

真実の言葉というものは、
繰り返し唱え、イメージすれば
苦しみや悩みを取り除くことができる。
ひとつの言葉に無数の意味が含まれていて、
一瞬にしてすべてを理解することもできる。

と、述べています。

7%の情報が120%になることもあるのです。

2006/06/15(Thu) 09:35 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
錬金術者さんへ
学者先生が言われた言葉であろうと、何であろうと学ぶ時期が来ている人は、たとえ、かかしが田んぼに立っていることからさえも学んでいくと思います。やまんばは学ぶことがうれしい。毎日このブログを開き、ブログに記載されていることはもちろんろくろくさんや、錬金術者さん、コメントのお友達の言葉をモグモグ静かに食べてます。そうやって、神様(宇宙の法則)が一つの学ぶ場を提供してくださっていることを、感謝しています。今回の錬金術者さんのコメントには、めずらしいことだけど、学者先生への棘をかんじたよ。やまんばは直接関係ないのに、その棘が胸に刺さりました。これからは、そんな言葉は使わないでほしいです。いままで同様、やさしく愛の心をもって、たくさんの智恵ある言葉を送ってください。
2006/06/15(Thu) 07:15 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
人を先入観で判断してならない。
 確かに「外見で人を判断するな」とよく言われますが、「外見」という言葉が独り歩きしているような気もしますね。恐らく、外見という言葉のなかには、先入観や、手前ミソ的な都合のいい解釈を暗に含んでいるのでしょう? 「外見」という言葉に囚われてはいけないと思います。言葉は7%の伝達力でしかないのですから…。
 恐らく、この格言の意味は、人は長いつきあいよって、判断しなければならないといいたいのでしょう。人間の判断はそれぐらい危ういものだといいたいのでしょう。
 また、「身体を動かせ」という意味はわかりますが、ただ、言葉だけでは、伝わらないでしょうね? まずは、教師が演じて、その模範を示さないと、7%としか伝わらないでしょう。脳を演じないといけないと思います。
 しかし、賢い生徒は、1を聞いて10を知ることができるという諺もあります。7%のなかから、93%を経験によって補うことができるのでしょう。
 対話が大切なのは、この言葉の背後に隠されたものを探る能力、洞察力を身につけることです。そして、イデアというのは、言葉では表しえない、その背後の法則や、体系のことです。そして、戯曲は、それらの総合芸術なわけです。
 ギリシア哲学がいっていることは、現代人が失った貴重な人間の財産(言葉の背後、みえないもの)のことなのです。
 それらを、霊力と、仮に呼んでいるのです。ソクラテスから言わせれば、現代人は、この無知の知を知らないのです。だから、言葉に囚われているといえましょう。現代には、ギリシア哲学という書籍はあっても、ギリシア精神は、神殿とともに消え去ったのです。
 本からしか学ばない、専門しか知りえない専門馬鹿の物知りが、学者と呼ばれているからなのです。

 自分のことも自分でできない学者先生が、何を他者に教えることができるのか不思議です。神ではない未熟な人間の頭が、いかに同じレベルの人間の頭を教えることができるのか?不思議です。これが本来のスフィンクスの謎々の意味なのです。
 人間が人間を教育する?
 そんなことができうるだろうか?ということです。
2006/06/14(Wed) 12:46 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
言葉が信頼できない情報なら、、、
このブログでのコメントはどうなるのか?実際に目の前で話すと、まったくちがうイメージをおのおのが抱いたりしてて、

このブログでのコメントはどうなるの?やまんばは、信頼しきっているのですが、、、。


























2006/06/14(Wed) 09:57 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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