2006年06月11日 (日) | Edit |
竹内一郎著「人は見た目が9割」新潮新書より(2)


たとえば「場の支配力」。
深夜の討論番組を観る。

言葉の中味だけが重要ならば、
討論番組なのだから、本来、
より客観性の高い主張を、

より論理的に語る人物が、
場を制するはずである。
ところが、そうはならない。

つまり、言語(論理)より、
それ以外の要素の方が強いのである。


討論番組で、一番駄目なのが、
坊ちゃん顔の若手代議士である。

自民党にも民主党にもいる。
高学歴で、知識は豊富。
主張は常識的。論理は平明。

本来なら、それほど劣勢になる
理由は少ないのである。

ところが、討論開始後一時間も経つと、
段々影が薄くなっていく。

彼らは、選挙のために「市民に愛される顔」
を作っているから、迫力がないのである。
場の支配力に欠ける。


討論番組の代表格、「朝まで生テレビ!」で
興味深い人物は、姜尚中(カンサンジュン)
東京大学教授である。

この人は場の支配力がある。
該博な知識を背景にしているが、
主張は基本的に常識的である。

学者としては穏当な意見で、
坊ちゃん顔の若手代議士に重なる部分も多い。

ところが、場を支配できる。何故かーー。
彼は、猛禽のような鋭い目で、討論相手を見据える。
低くドスの効いた声でゆっくるしゃべる。

加えて、学者らしく丁寧にしゃべるから、
貫禄が加わり、迫力に深みが増すのである。


本書では、こうした「言葉以外の情報」
すべてひっくるめて、「見た目」と捉えてみた。

同じ指示でも、Aさんが言えば従うが、
Bさんが言っても従いたくない、
ということは多い。

内容より「誰が言ったか」の方が重要なのである。
「伝達力」には能力や人格が問われるのである。

ところが、その能力や人格は困ったことに
「見た目」に現れるものなのだ。

このように社会を強く支配し続けているのは
「ノンバーバル・コミュニケーション(言葉以外の伝達)」
である。

・・・・・・
最近は、話し方についての入門書や
カルチャー・スクールのお陰で、
そつなく知的に話す人が増えてきた。

ところが、顔や風体などの見栄えと、
その人の口から出てくる言葉が合っていないから、
かえって奇妙な感じなのである。

見栄えと言葉、我々はどちらを信じればよいのかーー。
マルチ商法や信仰宗教などで、ぼろ儲けをした人が
逮捕されて、マスコミに顔が出てくる。

その人のインチキ臭さは、
顔や風体に如実に現れている。

だがどの事件の場合でも、弁舌が巧みだったから
つい信じてしまった、と被害者はいうのである。

私は言葉よりも見栄えの方が、
よりその人の本質を表していると考えている。

私が行きつけの飲み屋の女将は、
「お客さんがどういう人かは、
一目見れば大体判りますよ」という。

こういう人は言葉に騙されない。
というより、たくさん騙されて、
人を見る目を養ったのである。

私は、結局、メッキが剥がれる「話し方」を
勉強するより、一生使える「見栄え」を
身につけた方が得だとも思う。

そんな「ノンバーバル・コミュニケーションの力」
を皆さんが少しでも知って、
身に付けていただければ幸いである。


次回につづく


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テーマ:心理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
見栄っぱり
化粧や服飾のデザインも
ノンバーバル・コミュニケーション
教会や神社仏閣の荘厳、インテリヤ、絵画、音楽CDのカバーデザインに至るまで
ノンバーバル・コミュニケーション

さぁ~見栄っぱりにならなくっちゃ~~


2006/06/12(Mon) 14:30 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
文化の違い
 最近は、キャラで、人を捉えているといえますよね。絵文字も、一種のキャラという感じがしますし、人格を広告媒体のように、宣伝している感があります。これは言語が、昨今の個人の多様性を表現するに足る、共通イメージ認識をつくりあげるのには、あまりに貧弱な道具であることを示しています。
 人間は偶像崇拝するにつれて、だんだんと個人嗜好的で、ここでいう見栄っぱりになってきます。
 元来、言語を使う背景には、暗黙糧の共通の公的な認識があったのですが、例えば、日本人ならば、日本語の習慣等、とくに尊敬語、謙譲語等の使い方、いわゆる文化、礼儀、作法です。
 これら、公的な一種の自我、太古でいえば、民族霊のことで、民族霊が発する言葉は、言霊といわれていました。
 言霊とは、言葉自体が、事象そのものを表すことなので、代わりがきかない、一意的なものです。太古の日本では、天皇が、民族霊のようなものを兼ねていたのでしょう。だから天皇の言葉は絶対だったのです。
 時代が変わり、人間が個人主義に目覚めると、自由と愛でもって、コミュニケーションを洗練していく必要性が生じてくるわけなのです。
 いわば、人間の顔は、魂のキャラであり個人的自我の発露といえるでしょう。
 人間は、言語というよりは、どちらかというと、その人の顔をみて判断しているようです。これが進むと、オーラということになるでしょう。動物は、オーラをみています。
2006/06/12(Mon) 12:57 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
ノンバーバル・コミュニケーション
この言葉、はじめて知りました。一目見て、ピンとくるものがありますね。たいがいあたっているから、不思議です。一般の社会では、ぶさいくなやまんばも、仲間内に案外人気者です。理由は、歯が何本か欠けているけど、その欠け具合と、位置が、なんともチャーミングなんだそうです。魅力とは、そこここでちがって、おもしろいですね。
2006/06/12(Mon) 09:18 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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