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2018年12月20日 (木) | Edit |
死は人生の出来事ではない。
ひとは死を体験しない。

永遠を時間的な永続としてではなく、
無時間性と解するならば、
現在に生きる者は永遠に生きるのである。

視野の内に視野の限界は現れないように、
生もまた、終わりをもたない。

(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』)

『正法眼蔵』の現成公案の巻に薪(たきぎ)と灰の話がある。

薪を燃やせば灰となる。
一度灰になったものが薪に戻ることはない。
しかしながら、灰は後、薪は先であると理解してはいけない。

薪は薪であることによって薪以外の何ものでもなく、
その前後の姿があったとしても、
それらは続いてはおらず途切れている。
つまり、実在する時間は「今」以外にない。
途切れた「今」が連続することによって、
時間はあたかも進んでいるかのように感じられるだけで、
実際に存在する時間は常に現在をおいてほかにない。
灰もまた同じで、今この現在において灰は灰以外の何ものでもない。
薪の後の姿なのではない。

私たちには今現在しかなく、死を体験することはない。
死後の世界もないんだ。

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