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2017年05月15日 (月) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(12)



わたしたちは

耳を傾けることが ほとんどありません

犬が吠える声に

子どもが泣く声に

通りすがりのひとが笑う声に……

わたしたちは

あらゆるものから 自分を切り離し

その孤立したところから

ものごとを見たり 聞いたりしています
きわめて破壊的なのは

こうした分離です

というのも そのなかで

ありとあらゆる葛藤や混乱がうまれるかれです

あなたが すっかり静まって

あの教会の鐘の音を聴くなら

あなたは その音にのってゆくことでしょう

いや むしろ

音が あなたをのせて

谷をこえ

丘のかなたへとつれ去ってゆくことでしょう

音とあなたが切り離されていないとき

あなたが音の一部になっているとき

そのときはじめて

その美しさが感じられます

瞑想とは

分離がなくなることです

しかし それは

意志したり 願望することによって

おこるものではありません



瞑想は

生から切り離されてあるようなものではありません

それは生の真髄であり

日々の生活の真髄です

教会の鐘の音を聴き

妻とつれだって歩いている農民の笑い声に耳をすませ

通りすがりの少女が鳴らす自転車のベルの音を聴く……

瞑想は

そうした生の断片をとおして

ひとつひとつの断片だけでなく

生の全体を開示するものです



次回につづく

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