2017年04月19日 (水) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(11)



幸せや快楽は

それなりの支払いをすれば

どんな場所でも買うことができます

しかし

至福を買いもとめることはできません

自分自身のためにも

ほかの誰かのためにも……
幸せや快楽は

時間に縛られています

至福は

完全な自由のなかにのみ存在します

快楽は 幸せとおなじように

いろいろなしかたで

さがしもとめたり

見つけたりすることができます

しかし それらは

おとずれては 去っていきます

至福というのは

ふしぎな歓びを感じることです

そこでは どんな渇望もおこりません

至福をさがしもとめることはできないのです

あなたの心の質にもとずいて

ひとたび至福がおとずれるなら

そのままとどまります

時間もなく

原因もありません

それは 時間によって測れるものではないのです

瞑想とは

快楽を追いもとめることではありません

幸せをさがしもとめることでもありません

瞑想とは

概念や固定観念が なにひとつない心の状態です

心が完全に自由になった状態です

そのような心にだけ

至福がおとずれます

さがしもとめられてもいないし

招きよせられてもいないのに……

ひとたび至福がおとずれると

葛藤はなくなります

ただし葛藤がないというだけで

完全に自由になっているというわけではありません

瞑想とは

完全に自由のなかで

心がはたらくことです

至福が炸裂するなかで

瞳は無垢になります

そのとき

愛は祝福になります



あなたがたは

はたしてわかっているでしょうか

あなたが すべてに注意をはらえば

完全な静けさがおとずれるのです

その注意のなかには

どんな境界もありません

中心となるものもありません

気づいている“わたし”とか

注意をはらっている“わたし”のようなものはありません

この注意

この静けさ

それが 瞑想の状態です



次回につづく

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