2017年03月15日 (水) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(10)


瞑想とは

なんという とほうもないものでしょう

もしわずかでも 思考を瞑想にしたがわせ

瞑想の型にはめようと努力するなら

わずらわしい重荷になってしまいます

静寂をえようと望むなら

その静寂は 輝きを失ってしまいます

もし瞑想によって

ヴィジョンや体験を追いもとめているとしたら

幻想の世界や

自己暗示にいきついてしまいます

思考が花ひらき

そして 枯れはてるときにのみ

瞑想は意味をもちます

思考が花ひらくのは

自由のなかだけです

知識の幅が広がっていくだけでは

開花することはありません

知識は

新しい体験をあたえ

より大きな感覚をもたらすかもしれませんが

どんなものであれ

体験を追いもとめている心というのは

成熟してはいないのです

成熟とは

あらゆる体験から自由になることです

生きるにせよ 死ぬにせよ

もはやどんな影響もうけない ということです



瞑想における成熟とは

心を 知識からとき放つことです

というのも 知識が

すべての体験をかたちづくり

コントロールしているからです

みずから光となっている心は

いかなる体験も必要としません

未成熟とは

もっと大きく もっと広い体験を

渇望するということです

瞑想とは

知識の世界をとおりぬけ

知識から自由になり

未知のものへと入ってゆくことです



次回につづく

スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック