2016年12月15日 (木) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(7)


瞑想的な心がうまれる土壌は

日常の生活のなかにあります

そこには

争いがあり

苦痛があり

つかのまの喜びがあります

瞑想は そこではじめられなくてはなりません

そこに秩序をもたらし

そこから果てしなく動いていかなくてはならないのです


しかし あなたが

秩序をつくりだすことだけに関心をもつなら

その秩序そのものが限界をもたらし

心は その囚人になってしまうでしょう

このような あらゆる日々のいとなみのなかで

あなたは なんとかして

反対の側から

むこう岸から

はじめなくてはなりません

こちら岸にばかり 心を奪われていてはいけません

川をどうやって渡るか ということだけに

気をとられていてはいけません

泳ぎ方など知らなくても

水に飛びこまなくてはならないのです

瞑想の美しさというのは

自分がどこにいるのか

どこへむかっているのか

その果てになにがあるのか

けっしてわからない

ということです



次回につづく

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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
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