2016年04月15日 (金) | Edit |
養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(18)


有名な「色即是空」の「空」は、
ゼロでいうなら、
「数はないが、数字の一つ」
と同じ意味であろう。

「無」はゼロの「数がない」
というほうの意味である。
だからこそ、

「是故空中無色無受想行識(これゆえ空のなかには
色なく受想行識もない)」

とあるので、「空のなかには」というのだから、
「空」はある。しかしそこには、「色」つまり感覚も、
「受」、つまり感覚入力も、概念も行動も意識も「無」、
つまり「ない」。

このお経を読んでみると、まさにゼロの哲学である
というしかない。ゼロの発見はインドだと述べたが、
歴史的に数学とお経のどちらが先か、そんなことは知らない。
しかしともあれ、どちらもインド伝来なのであろう。


ここまで明瞭な例があるのに、
日本の思想を、すべてとはいわないが、
仏教思想だと、なぜいわないのだろうか。

もちろん仏教の根本のところを、
自分は理解していないという、
謙虚さが人々にはあるかもしれない。

世間で生きていくには、
とうてい一切空ではすまないからです。


現代社会は、
「意識こそすべて」
という社会である。

都会というのは、そういう場所をいう。
都会に住んで、自分の周囲を見れば、
それがわかるはずである。

都会に「自然のものはなにもない」のだが、
なぜかというと、「自然のもの」とは、じつは、
「意識が創らなかったもの」だからである。

つまり都会には意識が創ったものしか
「置いてはいけない」。・・・・・・
「雑草」という言葉を考えればわかるであろう。

雑草という草があるのではない。雑草とは、
「こんなものは植えたつもりがない」
と意識が思う草を指す。

それを見ると、意識は気に入らないので、引っこ抜く。
だから都会とは、もう少し極端に表現するなら、
「意識のワガママ勝手が許されるところ」である。

ところがその意識は、脳のはたらきで、
意識がはたらけば、それは秩序活動だから、その分の
ごみが脳の外にも脳の中にも溜まってしまう。

都市の中は確かに秩序があり、安全である。
しかしそれは見えないところにゴミを排出した
おかげである。

都市の中がきちんとすればするほど、
それに見合ったゴミが外に発生する。
これを公害とか環境問題とかいう。

脳の中に溜まるゴミは、「寝ること」によって、
ひとりでに片付けることができる。

だから意識のなかに生きている現代人は
「意識こそすべて」と思っていても、
幸い問題が生じなかったのである。

寝ている間に、脳が黙ってゴミを
片付けてくれるからである。その代わり、
意識は途切れ途切れにならざるをえない。


だから覚せい剤のどこが問題か、
ただちに理解できるであろう。

覚せい剤はいわば「脳をだまし」、
「眠らないでも意識活動が可能」と思わせる。
これを常用すれば、当然ながら脳は壊れる。

要するに意識活動は「意識がないこと」、
つまり睡眠と対になっている。

それは意識活動が徹頭徹尾、
秩序活動だからなのである。

その秩序を基礎付けるのが、
意識の持つ「同じ」という働きである。



次回につづく

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2016/04/15(Fri) 13:46 | URL  | きみき #-[ 編集]
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