2016年01月15日 (金) | Edit |
養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(15)


日本人はたいてい無宗教、
無思想、無哲学だと主張する。

それが日本の宗教、日本の思想、
日本の哲学である。私はそう思う。

これはなかなか合理的な考え方である。

宗教、思想、哲学といった類のものを
無理して持たなければ、とくに考える必要も、
ぐあいの悪いところを訂正する必要もない。

必要ならなにかの思想を借りておけばいい。
その借り物がとことん具合が悪くなったら、
「取り替えれば済む」。

それが明治維新であり、戦後ではないか。

考えてみると、いろいろな人が、
それぞれの表現で、「日本に思想はない」
ということを述べてきた。

そのはじまりは昭和三十年、大宅壮一の
「無思想人宣言」という、「中央公論」に
載せられた文章ではないかと思う。

東大法学部の大先生だった丸山真男は、
『日本の思想』(岩波書店)という著書のなかで、
「日本に思想はない」と書いた。

さらに戦後を代表する思想家の一人、山本七平は、
日本の中心には「真空がある」といった。

最初にこれを読んだとき、私はなんのことやら、
十分には理解できなかった。しかし、いまでは、
自分なりによくわかるような気がする。

真空とはつまり「絶対的になにもない」ことである。
山本七平の表現は、天皇制についての指摘だが、
天皇制が日本そのものであることは、多くの人が
認めるであろう。

そこが「真空」なんだから、もはやいうことはない。
哲学も思想もあるわけがない。そういうものは、
すべて「吸い込まれて」、なくなってしまうのである。
なにしろ「真空」なんだから。

最近では加藤典洋氏が『日本の無思想』という本を
書いている。・・・そこではっきりしていることは、著者が、
「表現され、表に現さなければ、思想の意味はない」
とおそらく考えていることである。

こういう信念に対抗しようと思えば、
言葉にすることができることは、
おそらく一つしかない。その答えが、

「俺には思想なんかない」
という言葉なのである。
さもなければ、ひたすら黙るしかない。

・・・・・・
北田暁大氏の『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス)
には、2ちゃんねるに参加する人たち、「2ちゃんねらー」
についての、二階堂豹介氏からの引用がある。

「何かを信じるという価値観を2ちゃんねるでは攻撃していますが、
2ちゃんねらーは何かを信じないという価値観を
共有していることに気づいていないのです。」
(『2ちゃんねる公式ガイドマガジン』Vol.3より)


同時進行中の現代において、私から見れば若者である著者は、
「反思想としての思想」「価値観を信じないという価値観」
について述べている。

これまた「無思想という思想」の一例であろう。
現代日本の若者たちは、新しいように見えるが、
「無思想としての思想」という日本古来の思想に、
じつはどっぷり漬かっている。


次回につづく

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テーマ:仏教・佛教
ジャンル:学問・文化・芸術
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