2015年10月01日 (木) | Edit |
ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (52)


自然は私たちの母親です。
この母なる自然から切り離されるから、
私たちは病むのです。

いまや多くの人々が、
マンションという箱のなかで、
地上からはるかに高いところで
生活しています。

周囲をセメントや金属、
その他の堅い材料に囲まれ、
土に触れる場所などありません。

もうレタスを植えて育てることも
しません。

私たちが病気に苦しむのは、
このように母なる大地から離れて
暮らしているからです。
だから、ときどき自分のほうから出かけていって、
自然に触れてみるのは大切なことです。
これはとても大切なことです。

大人も子どももみんな母なる大地との触れあいを
取り戻さなければなりません。

都会では木がずいぶんと減ってきました。
緑が私たちの視界からすがたを消しています。

あるとき私は、たった一本の木しか残ってない街を
想像してみました。その木はまだ美しかったけれど、
街のまんなかで、建物ばかりに囲まれて、とても
寂しそうに見えました。

その街の人はつぎつぎに病気になってゆきましたが、
医者にはその人たちを治すすべがわかりませんでした。

そのなかで、あるひとりのお医者さんだけは、人々の
病気の原因がわかっていました。そこでこのお医者さんは、
次のような処方箋をだしました。

「毎日バスに乗って、街のまんなかまで行って、
そこにある木を見てください。木のところへ行くまでの
あいだ、息を吸って、吐いて、と呼吸の練習をします。

そして木のところへ着いたら、木を抱き締めて、
十五分また息を吸って、吐いて、と呼吸の練習をします。
そうしながら、その美しくみずみずしい木を見つめ、

樹皮のかぐわしい匂いを嗅ぎます。これを毎日行えば、
数週間のうちに、あなたはずっと気分がよくなりますよ」。

……
いますぐ気づきの生活をはじめれば、自分も、子どもも、
母なる大地も救われます。たとえば、生ごみを深く見つめて
ゆけば、そこにレタスやキュウリ、トマト、花などが見える
はずです。

バナナの皮をごみのなかに投げ捨てた時には、自分が投げ
捨てたのはバナナの皮なのだ、と気づき、それがすぐに花や
野菜に変ってゆくのだと考えてみてください。
これこそが瞑想の正しい練習なのです。

ごみのなかにビニールの袋を投げこむとき、
それはさきほどのバナナの皮とはちがうことに、
すぐ気づくはずです。このビニールの袋が花になるには
たいへん長い時間がかかります。

「ビニール袋をごみのなかに投げこみながら、
私はビニール袋を投げ捨てたと気づく」。

この気づきによってしか、私たちが大地を救い、平和な世界
を築き、いまこのとき、そして、未来のいのちを大切にする
ことを可能にするものはありません。

これに気づけば、自然に自然にビニール袋をつかう回数は
減ってくるはずです。これが平和の行動であり、平和的行動
の基本です。



次回につづく

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