2015年08月01日 (土) | Edit |
ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (51)


ものを見るためには、
深く見つめなければなりません。

清く澄んだ川で楽しく泳ぐ人は、
その川と一体になることができます。

ある日、それは私が最初に渡米したときだったか、
二、三回目のときでしたか、

ボストン大学で友人と昼食をとりながら
チャールズ川を見下ろしていました。
祖国を離れて長い月日が経っていました。

その川を眺めているうち、
居ても立ってもいられなくなって、
友人を残して川へ下りてゆきました。

いつも国でしていたように、流れに足を浸して、
顔や足を洗いました。川から戻ると、友人の教授が
こう言いました。

「あなたはとても危険なことをなさいましたよ。
川で口をすすがれたのですか」。私がそうだと言うと、
「すぐに医者へ行って注射をしてもらったほうがいい
ですね」という返事が戻ってきました。

私はショックを受けました。こんな美しい川が汚染され
ているなどとは夢にも思わなかったからです。

アメリカにはすでに「死の川」とよばれている川もある
とのことでした。私の国の川は、ときに泥川になること
もありましたが、アメリカのこの川のような意味では
汚れていませんでした。

ドイツのライン川は、大量の化学物質が流入して、
いまやその水で写真の現像が出来るほどだ、
と聞かされたのを思いだしました。

これから先、昔のように川で楽しく泳いだり、川辺を歩い
たり、また、毒物の心配などせずに、水が飲めるように
するためには、いまこそ「不二」の視点をもたなければ
ならないのではないでしょうか。

自分と川の仕切りをとって、川は私だと感じられたら、
私たちはいま、川が直面している恐怖も希望もともに
体験できるはずです。

これから先、私たちみんなが、山や川、空気、動物、そして
自分以外の人のことを考えるとき、彼らの立場に立ち、彼ら
の視点から見ることができなければ、川は死に絶えるでしょう
し、私たちの平和も永遠に失われてしまうでしょう。

登山をしたり、野山や森を歩くのが好きな人は、
太陽が私たちの体の外の心臓であるように、
森は私たちの体の外にある肺臓だということが、
すぐにおわかりになると思います。

……
私たち人間は、自分という小さな殻(小さな自己)に閉じこもって、
自分の快楽ばかりを求めて、その一方で、大きな自己を破壊して
いるのです。

私たちはだれでも真の自己に戻ることができるはずです。
いいかえれば、私たちは川になることができるし、森にも太陽に
も、そしてオゾン層にもなることができるのです。

このようなものの見方こそ、未来への理解と希望につながって
ゆくのではないでしょうか。



次回につづく

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