--年--月--日 (--) | Edit |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2015年02月15日 (日) | Edit |
養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(5)


大家族の家単位だった私的空間が、
憲法上つまりタテマエ上は、
個人という実質的最小単位まで

小さくなってしまったのが、
戦後という時代である。

そうなると、実質とタテマエをなんとか
工夫してすり合わせるのが日本人だから、
どうなったかというなら、

「大きい」家族を、「小さい」個人のほうに
できるだけ寄せるしか手がない。

無思想の発見 (ちくま新書)無思想の発見 (ちくま新書)
(2005/12)
養老 孟司

商品詳細を見る


その折り合い点が「核家族」
になったんでしょうが。

「ひとりでに核家族になったんだろう」

たいていの人はそう思っているはずである。
冗談じゃない。
そんな変化が「ひとりでに」起こるものか。

「ひとりでに」というのは、
「俺のせいじゃない」
と皆が思っているというだけのことである。

だって憲法のせいなんだから。


幼児虐待が起こるたびに、
「どうしてまわりが注意しなかったんだ」
という意見が出る。それは、

「他人の家のなかは、私的空間だ」
という伝統的な世間の規則を意識していない
からである。だから日本の場合、

ある程度大家族でないと、
じつは子育てが危険である。

二十歳やそこらの母親が、子育ての責任を
一人でもてるわけがないでしょうが。

未婚の母の問題は、未婚だからではない。
子育ての問題に決まっているではないか。

だから共同体がまだ生きている田舎、
沖永良部島がもっとも人間の再生生産率が高く、
都市つまり東京都目黒区がいちばん低い。


最近、福島県伊達町の諏訪野に行った。
ここは共同体の再生を考慮に入れて、
都市づくりを行っている。

コモンと呼ばれる「ちいさな広場」を
数件の家が囲む形になっており、
町全体は西欧の田園都市に近い、
樹木を多く取り入れた設計になっている。

そこでは「子どもが増えている」のである。
外で遊んでいる子どもを、
だれか大人が見ているからである。


西洋では家族の意味はおそらく逆で、
近代的個人が集まって家族を作るんだから、
家族が最小の公的共同体なのである。

家族は私的単位ではない。
だからイギリス人が遺書を書いたら、
遺産だって奥さんに行くとはかぎらない。

「だれに財産を分けようが、俺の勝手だろ」

なのである。なにしろ「個人」が
「私というものの公的最小単位」
なんですからね。

ここの「私」とは、
privateという意味ですからね。念のため。

イギリスの推理小説を読むと、
それで遺産がらみの殺人ばかり
出てくるのであろう。


次回につづく

スポンサーサイト
テーマ:仏教・佛教
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。