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2015年01月01日 (木) | Edit |
ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (45)


慈(与楽)のこころは、他人にも自分自身にも、
平和や喜びや幸福をもたらします。

理解という木を育てるのは気づきの観察であり、
慈と悲のこころは、その木に咲く最も美しい花です。

自分のなかにだれかへの慈が芽ばえていることに
気がついたら、すぐにその人のところへ行ってみて
ください。

そうすれば慈のこころは、単なる想像上の出来事でなく、
具体的に世界に働きかける力の源泉となります。

微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践
(2002/02)
ティク・ナット ハン

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慈の瞑想とは単にじっと坐って、音波や光のように
ひろがってゆくのをただ思い描くことではありません。

音や光がどこへでも染みこんでゆくように、
慈悲のこころも、その対象のなかに浸透してゆくはずです。

しかし慈が単なる想像上のものにとどまれば、
対象を動かす力にはなりえません。

他人への慈というものは、私たちが毎日その人たちと
実際に出会うなかから生まれてくるものなので、
その実際の触れ合いのなかで、

本当に自分に慈のこころがあるのか、それがどれくらい
確かなものかを知覚することができるのです。

もしも慈が本物なら、生活のなかに、あるいは他人や
世界との関わりのなかに、必ずその証がすがたを現して
くるはずです。

慈の種はだれのこころにもあって、
ほかの人に幸福を気づかせる力を
もっているのです。

ちょっとした言葉や行動、
思いやりでも他人の苦しみをやわらげ、
喜びを与えることができます。

ほんのひと言が相手をほっとさせ、
自信を取り戻させることもあるし、
猜疑心を取り去って過ちを犯さないようにしたり、
喧嘩を仲裁したり、こころの扉をひらくことも
できるのです。

小さな行為が人のいのちを救ったり、
チャンスを逃さずにつかめるようにすることもできます。
小さな思いやりも同じような力を持っています。

その理由は、思いこそつねに言葉や行動に先立って、
行動や言葉を喚起するものだからです。

こころに慈があれば、思いも、言葉も、行動も、
奇跡を生みだせるのです。

理解するこころが慈の基盤なので、
慈から生まれてくる言葉や行動は、
いつも人を助け、励ますものになるのです。



次回につづく

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テーマ:仏教・佛教
ジャンル:学問・文化・芸術
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