2014年10月22日 (水) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(11)


浄土教の経典に出てくる阿弥陀という
仏が浄土教の中心に位置します。

この阿弥陀という名前自体、
大変面白く、
深い意味があります。

「阿弥陀」という言葉は、
もともとサンスクリット語で、
これはヨーロッパ系の言葉ですから、
英語やドイツ語などと構造が似ています。


「阿」というのは否定をあらわす言葉です。
なにを否定するかというと、
「弥陀」を否定しています。


親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか
(1995/10)
花山 勝友

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弥陀というのは、女の人がよく使う
メジャーというものがありますが、
あの量(はか)るという意味です。

そうすると、阿・弥陀というのははかれない、
ということで、無量なのです。
分かりやすく無限といってもいいです。


私が、非常に西洋の思想と似ていると思うのは、
神というのは二つの特徴を持っている
というところです。

それは何かというと、
全知全能です。

全知全能、
あらゆることを知っている、
あらゆることができる、
ということです。

それを別の言葉でいえば、
無量寿、無量光になるのです。

すなわち、無量光というのは、
はかれないほどの光、ああ、あの人は
物事に明るい、よく知っているという意味です。

光というのは知恵の象徴なわけですから、
無量光というのは、
全知という意味と同じことです。

無量寿の寿は命です。
人間にできないことがあるのは
命に限りがあるからで、

もし永遠に生きられるならば、
なんでもできてしまいます。

ですから、無量寿というのは全能
という意味をあらわしているのです。

全知全能をあらわす阿弥陀は、
人間にとって西洋でいう神と
まったく等しいわけで、

人間の持っていない、持ち得ない理想的なものを
人格化、仏格化したものが阿弥陀という
仏だということです。

・・・・・・
浄土真宗で必ず唱える「正信念仏偈」とよばれる
親鸞のつくった聖典の中に。「帰命無量寿如来」と
「南無不可思議光」という言葉が出てきます。

これは「南無阿弥陀仏」に対する
親鸞の翻訳ともいうべきものです。


帰命は南無の訳で、不可思議というのは、
思議すべからずということですから、
無量という意味です。

ですから、一方に命、一方に光があり、
無量寿、無量光の阿弥陀をあらわし、全体として、
“南無阿弥陀仏”の翻訳となっています。


結局、ここから始まったものが、
浄土真宗というひとつの宗派になった、
ということになるわけです。


次回につづく

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テーマ:仏教・佛教
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