2014年09月08日 (月) | Edit |
ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (43)


慈(愛)は、人に平和と喜びと幸福をもたらし、
悲(慈悲、抜苦、同情)は、人の苦しみをとり
のぞきます。

私たちはだれでも、こころのなかに、
このような愛と慈悲の種を持っています。

だれでもこのすばらしい力の源に気づき、
育てていったら、見返りを期待しない、

それゆえに不安にも悲しみにも縁がない
無条件の愛を育むことができるのです。

慈悲の本質は理解する心であり、
他人の身体的、物質的、
そして心理的苦悩を理解する力です。

微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践
(2002/02)
ティク・ナット ハン

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みずからが他人の「皮膚のうちがわ」にまで
入ってゆくことです。

人の体や感情、こころのしこりの「内部にまで侵入し」、
自分の目で他人の苦しみをしっかりと目撃することです。

部外者としての浅い観察だけでは、
人の苦しみを知ることはできません。

観察する対象と一体にならなければいけません。
ほかの人の苦しみと触れ合って、
はじめて悲のこころが生まれてきます。

悲のこころとは、
文字どおり「ともに苦しむ」ことなのです。

瞑想の対象として、まず身体的または物質的苦しみを
受けている人、たとえば、虚弱で病気がちの人、貧乏で
抑圧されている人、保護を受けられない人などを選んで
みてください。

このような苦しみは、だれの目にも見えやすいものです。
次にもっと目に見えにくい苦しみの対象と接触する練習
をします。

一見まったく苦しんでいる様子がない人でも、隠された
ところに苦しい傷痕を残している人がいます。物質的に
はありあまる生活をしている人にも苦しみはあります。

坐って瞑想するときも、実際その人と接しているときでも、
慈悲の瞑想の対象に選んだ人を深く見つめてゆきます。

十分に時間をかけて、その人の苦しみに深く侵入して
ください。悲のこころが芽ばえ、私たちのこころが悲で
いっぱいになるまで、たゆまずその人に瞑想しつづけて
ゆきます。

このように瞑想の対象に深く沈潜してゆくと、
瞑想の成果は、おのずから何らかの行動を起こす
力となってきます。

「私はこの人がとても好きです」と言うかわりに
「私はこの人になにかしてあげたい。少しでも苦しみ
がなくなるように」と言ってあげたらどうでしょうか。



次回につづく

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テーマ:仏教・佛教
ジャンル:学問・文化・芸術
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