2014年07月22日 (火) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(8)


私がアメリカにいたとき、
なんともすばらしい体験を
したことがあります。

なんと三つの子どもに、
「南無阿弥陀仏」という念仏の意味を
教えられたのです。

アメリカの大学で教えながら、
土曜日と日曜日だけは小さなお寺の住職をして、
サンデースクール、日曜学校を開いていました。

幼稚園児ぐらいの子から、小学校の子どもまで
数十人集まってきました。
その子たちに英語で話をしたのです。


親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか
(1995/10)
花山 勝友

商品詳細を見る


子どもに話すというのは、かみくだいて、
さらにかみくだいて話さなければならない
のですから大変です。

そのときどうにもならなかったのが、
「南無阿弥陀仏」の翻訳です。
訳しようがないのです。

「帰命無量寿如来、南無不可思議光」などと、
お経をそのまま引用しても仕方ありませんから、
まあ、いつかは分かってくれるだろうと、
そのままにしておきました。

・・・・・・
いよいよ日本に帰るという最後の日曜日でした。
子どもたちに向かって、

「先生はいままでいろいろな話をしてきたけれども、
ひとつだけ心配なことがあります。それは、毎週毎週
『なむあみだぶつ』といわせてきたけれども、

この『なむあみだぶつ』の意味がわかっているか
どうかです。誰か、その意味がわかりますか」

といったら、一番前に座っていた、
まだ三つの男の子が、「センセイ」
といって手をあげました。

「なむあみだぶつ・ミーンズ・サンキューブッタ」

こういったのです。
なむあみだぶつは、ありがとう仏さま、
でしょうと。

こんなにすばらしい翻訳があるでしょうか。
まさしくその通りなのです。

それまでのいろいろな話を聞いて、結局、
「なむあみだぶつ」はそういう意味だろうと、
直感的に思ったのです。

大人はどうしたって理屈が先にたちますから、
なかなかこうはいきません。
見事な答えだと思いました。

親鸞の「南無阿弥陀仏」という念仏は、
まさしく、自分が“生かされている”
ことに対する感謝の言葉なのです。


次回につづく

スポンサーサイト
テーマ:仏教・佛教
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック