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2014年07月08日 (火) | Edit |
ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (41)


理解と愛はふたつの別々のものではなく、
ひとつのものです。

たとえば、息子さんが
朝寝をしてしまったとします。

そこで、この子はすぐに妹を起こして、
朝食をとって、学校に遅れないように気を使います。

妹はたまたま機嫌が悪くって、
「ありがとう、お兄ちゃん」と言うかわりに、

「うるさいわね、ほっといてよ」と言って、
足で兄を蹴ったとします。

そうすると、おそらく兄は腹を立てて、
こう考えるでしょう。

「優しく起こしてやったのに、
どうして蹴ったりするんだ」。


微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践
(2002/02)
ティク・ナット ハン

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彼は台所までやってきて、
あなたにそのことを
言いつけたいと思うかもしれないし、

あるいは妹を蹴りかえしたいと
思うかもしれません。

しかし兄は、ここで妹が昨晩とてもひどい咳を
していたのを思いだして、
体のぐあいが悪いのではないかと思います。

妹があんないやな言い方をしたのは、
きっと風邪をひいていたからだろう。

これに気づいて、はじめて兄は、
妹の反応がわかったのです。

妹の状況を理解してやると、腹は立ちません。
相手を理解すると愛さずにはおれなくなります。
腹など立てようがありません。

この理解するこころを育てるためには、
生きとし生けるものすべてを、
慈愛の目で見つめる練習をすればよいのです。

あなたが理解すれば、
愛はひとりでに育ちます。

あなたがひとりでも愛を実践すれば、
自然にほかの人たちの苦しみを
解き放てるような行ないができるのです。




次回につづく

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