2014年06月22日 (日) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(7)


日本人がしょっちゅう使っている言葉で
縁起というのがありますが、
これは因縁生起からきています。

縁起をかつぐ、縁起直し、
縁起物、などと使います。

結婚式などのときに、
「このたびは不思議なご縁で」
などといったりもします。


親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか
(1995/10)
花山 勝友

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直接の原因で起こることは因、
間接の原因で起こることは縁なのですが、
人間、因は分かっても縁はなかなか分かりません。


簡単な例をあげてみましょう。

私が生まれたのは、
父親と母親が結婚したからです。
これが因です。
誰も否定できない事実です。

しかし、もうひとつ、
間接の原因があります。
父親と母親が結婚できたのは、

「父親以外の男が母親と結婚しなかった」からであり、
「母親以外の女が父親と結婚しなかった」からです。

「同世代の他のすべての男が母親と結婚しなかった」、
「同世代の他のすべての女が父親と結婚しなかった」
ことが、私という存在が生まれる間接的原因に
なっているわけです。

これが縁です。

・・・・・・
わたしがアメリカで講義をしているときに、
向こうの人がもっとも興味を示したのが
これでした。

うーんすごい、いままでの人生でこれほど
すばらしい話は聞いたことがない、
とさえいっていました。

ただ、頭では分かっても、体では分かりません。
それが文化の違いというものでしょう。


因縁の面白さというのは、
一本の糸が他の糸とからまりながら、
網をつくっているように、

自分という一本の糸を通して、
宇宙全体の網が感じられるところにあります。


誰でしたか、暇な人が計算したことが
あるらしいのですが、人間生まれた瞬間に、
すでに数万人の人の手がかかっているというのです。

生まれたときに医者や看護婦がいて、
さらに産湯を使う。その水やガスが病院や家に
届くまでには大変な数の人がかかわっています。

ですから、人の一生分だったらどのくらいの人と
関係があるか分からないと考えたら、

とてもとても、「オレひとりで生きている」
とか、「関係ねえや」などとはいえません。


やはり、「あらゆる存在は他のすべての存在との
かかわりによって存在している」ということです。
無関係なものなど何ひとつないわけです。

「すべてと関係を持ちながら、“生かされている”」、
“生きている”のではなくて“生かされている”と

気がづいたときに、初めて謙虚になれ、
感謝の念が湧いてくるのです。

そうなって初めて自分を大事に思い、
他人をも大事に思うことができるようになるのです。



次回につづく

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テーマ:仏教・佛教
ジャンル:学問・文化・芸術
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