2014年04月22日 (火) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(6)


宗教が、重要な問題のひとつとして、
人の死ということを追求しているのには
それなりのわけがあります。

つまり、やがて間違いなくおとずれる
このことを意識することで、
いま自分が“生かされている”ことの大事さ、

“生かされている”ことへの
感謝の気持ちが湧いてくるのです。


親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか
(1995/10)
花山 勝友

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ものを大事にしない。
親や子を含め人を大事にしない。
ささいなことですぐ人を殺してしまう。

相手の心を傷つけても平気、
傷つけたことすらわからないーー

現代人はまるで一億総心身症
といった感じすらします。

とりも直さず、これは自分がいきている実感、
感謝の気持ちが、ひどく希薄になっている
ことに他なりません。


最近よく、私ひとりで生きられる、
誰も頼りになんかしない、
などという言葉を聞きます。

一見カッコよく聞こえるこういう言葉からは、
感謝の気持ちの薄さ、
ときには傲慢な感じさえ受けてしまいます。

果たして、ひとりで生きている人間など
いるのでしょうか。

いまの若者がよく使う言葉で「関係ない」
というのがあります。しかし、
世の中に関係のないものなどないのです。


たとえば、電車でシートに座っていたとします。
そのシートに座ったことで、
他の人は誰もそこには座れません。

「じゃ、立つわよ」と立ったとしますと、
今度はその立っているところには誰も立てない、
ということになります。

人間ひとりのようでいて、
実はひとりではないのです。

こういう関係のことを仏教では「因縁生起」
といっています。因と縁によって生まれ起こる。

すなわち、「この世の中は、直接の原因と
間接の原因とによって、すべて生まれ
起こっているのですよ」ということです。


次回につづく


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