2014年02月22日 (土) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(4)


もっと具体的な例もありました。
死に際し、阿弥陀仏像の手から五色の糸を引っ張る、
臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)というものです。

臨終のときにお坊さんたちが集まり、
死に行く人に向かって、いま迎えに来てくれたからな、
と五色の糸を引っ張って、見せるものです。

親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか
(1995/10)
花山 勝友

商品詳細を見る


気力も体力もおとろえ、
死の苦痛だけが残っている人間に、
この五色の糸はどう見えるのでしょうか。

いずれにしても、これなども、
現代のターミナル・ケアの問題を考えるときに、
文字通り糸口になります。

私にいわせると、
お坊さんはなぜ人が死んでから行くのだろうと
思うのです。生きているうちに行ったほうが、
どれだけその役目を果たせるか分かりません。

まさか五色の糸を持っていくわけには
いかないでしょうが、
せめて死にゆく人の手を握り、

安心しなさい、われわれも必ずあとから
行きますよ、といってあげれば、
どれだけ安らぎになるでしょうか。
どれだけ安心して死んでいけるでしょうか。


いまそれをやっているのはカトリックです。
ラスト・ライトと呼ばれるもので、
最終の儀式というものです。

臨終のときに立会い、ファーザー、神父さんが
最期を見送るのです。日本でもかつてはこれを
やっていたのです。

いつの間にか、日本では、お坊さんは死んでから
行くことになってしまったものだから、
病院に衣を着ていくと、

ちょっとお坊さん、まだ早いですよ、
お引取り下さい、
ということになってしまいます。

・・・・・・
人間、どうしても助からないと分かったときに、

金と医療技術に頼って病院をたらい回しに
するのがいいのか、できるだけその人を
安心させてあげるほうがいいのか、

ここのところをもう一度、
よく考えて見る必要がありそうです。


ご来迎とともに、
もうひとつわれわれを安心させて
くれる考え方があります。

倶会一処(くえいっしょ)です。
お墓によく書いてある文字なので、
見たことのある人も多いと思います。

ともにひとつのところで会う、
という意味です。

自分だけのことを考えてみれば、
確かに死ぬのは恐い。しかし、
いままでのご先祖は全部死んでいるじゃないか。

しかも、その人たちがぜんぶ同じところにいる。
そこに行ったら死んだおじいさんに会える、
おばあさんに会える、といわれれば、

間違いなくなぐさめになるし、
安心もできるでしょう。


現代人は、科学の進歩だのハイテクだのと
偉そうなことをいっていますが、
死ぬことだけは解決できません。

これから先、どれだけ科学技術が進歩しようとも、
どれだけ高齢化社会になろうとも、
それは無理です。

しかし、科学技術が進んで、
それだけこの世が楽しくなればなるほど、
この問題は大きくなっていくはずです。

なんでこんな楽しい世とおさらばしなければ
ならないのだ、と苦しみが増すはずです。

宗教の出番はいくらでもあるはずなのに、
葬式仏教になっている現実は悲しいことです。


次回につづく


スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック