2013年11月22日 (金) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(1)


己の力の及ばざるを知り、
感謝の気持ちが
心に生まれた人を
悪人という・・・・・・・・花山勝友



あるとき、私にこういった実業界の人がいました。

「親鸞の教えというのはたいしたものだ。
人間の欲というものをあるがままに認めたのだから、
時を越えて欲望の時代である現代に生きていますな」
と。

こういうのを半可通というのでしょう。
親鸞は醜いエコノミック・アニマル、経済的動物を
すばらしいとは決していわないでしょう。

親鸞は確かに人間の欲望をあるがままに
認めたところに、素晴らしい価値がありますし、
一番の魅力もそこにあります。

ただし、あるがままに認めて、
それでいいとしたわけではありません。

その中で、人間性というものの醜さ
というものに気がついた
ということが重要なのです。

「人間というものは、この程度のものだ」
というふうに気がついたときに、
「ではどうすればいいのか」という
次のステップがでてきます。

その次のステップを踏み出していないのに、
ただ目の前の欲を満足させているだけなのが
現代人です。

親鸞の一番の特徴は、人間のありのままの姿を
認めた上で、しかも、
そこに深い自省があったことです。

・・・・・・
日本人の大部分が、経済的、物質的に満足しながら、
精神的苦悩を持っている。それゆえ、
ノイローゼが増える、精神病が増える、
麻薬に走るものが増える。

そういうものに対する答えを探すために、
仏教はなくてはならないものだという気がします。

その仏教の中でも、親鸞がたどった苦悩の道、
つまり、人間の欲望というものを率直に
認めたところから出発している教えは、

現代人がこれ以上みっともない存在に
ならないためにも、非常に参考になるような
気がして仕方ありません。


私がよくいう言葉に、「人間の死亡率は百パーセント
である」というのがあります。

私は医者ではありませんが、
これだけは絶対に間違いのない事実です。
厳粛な事実といってもいいでしょう。

しかし、ふだんはそのことから目をそむけています。
「少なくとも明日までは大丈夫」、
「来年までは大丈夫」と思って生きています。

そして、平均年齢くらい生きられれば充分だよ、
オレは六十歳でもいいよと、タカをくくっています。

しかし、人間、実際にその年にになれば、
あと一年、あと一年ということになるのが
ふつうです。

私はそういうことをみっともないとか、
だらしないなどとは思いません。
きわめて自然な人間の欲求だと思います。

おそらく親鸞も同じだったと思うのです。
いまからみれば、あの時代で九十歳まで生きた
親鸞はおばけです。


次回につづく

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