2013年09月22日 (日) | Edit |
月洞 譲著「老子の読み方」祥伝社NON-BOOKより (6)

『老子』の哲学の根幹をなす考え方は、
言うまでもなく「道」である。

後世、老荘思想を奉ずる思想を、
道教と呼ぶのもここからきている。

だが、これを言葉で説明するとなると、少しむずかしい。
しかし、基本的な概念を押さえておかないと、
『老子』はわかりづらいものとなる。

これを一言で言うと、

世の中には、そもそも自然の流れがあって、
それに逆らうことなく、その流れに従順に
生きるのが一番よいという考え方である。


老子の読み方―“無為自然”―強かに生きる哲学 (ノン・ブック 207 知的サラリーマン・シリーズ 16)老子の読み方―“無為自然”―強かに生きる哲学 (ノン・ブック 207 知的サラリーマン・シリーズ 16)
(1982/09)
月洞 譲

商品詳細を見る


たとえば、四季の移り変わりが挙げられる。
春になる。田植えが終わると今度は夏になる。

われわれはそういう自然の流れを知っていれば、
それに対して手が打てる。

春の次に夏が来て、
夏がくると暑くなることを知っていれば、
対策が打てる。種を撒いたら、

秋になってそれが実ることを知っていれば、
それに手が打てる。
すなわち、これが「道」の考え方である。


これを人間社会にあてはめると、なかなか
「自然」のままには事が運ばない。そこには、
つねに人為(じんい)が渦巻いているからである。

人為によって「自然」が乱されると波が立つ。
すなわち戦争が起こったり、
政変があったりする。

しかし、老子はそれを一時的なものと考え、
世の中がよくなるとか悪くなるとかの、
進化論やその逆の考え方は採らない。

そもそも、
人類は悪く進もうとするはずはないわけで、
一時的に世が乱れても、
また元に戻るものと考えるのである。

さらに、老子は「自然」を乱すところの
「人為」そのものをも、まったくは否定しない。

人間の欲望や私利私欲は止むをえないものと
認めたうえで、それに対する限度を設ける。

そして、この「人為」が自然」を害さないように、
なるべく抑えた生き方をするのが、
すなわち「無為自然」なのである。

したがって、先にも述べたとおり「無為自然」とは、
ただ無為に寝ながら時を過ごすことでなく、
何もしないことを為す、のである。

すなわち老子は、「あれもダメ、これもダメ」
と叱るのではなく、人間の営みにある程度
許容範囲を認めたうえで、これだけは外すなと諭す。

限度を越えた私利私欲によって、
戦争を起こしたり、税金を取りすぎたり、
貪る政治をしたりしてはならないと説く。

・・・・・・
老子の思想を孔子のそれと比較すると、
より特徴がはっきりする。
ともに現実主義に根差した思想ではあるが、

孔子は、理想の社会を想定し、
世の中はこうあるべきだと、まず決定する。

そのためにあれはダメ、これはダメというぐあいに、
さまざまな規範を設ける。つまり理想主義的立場から
まったくの無縁というわけではない。

これに対して老子は、
人間の欲や営みを前提として認めたうえで、
許容範囲を踏み外さないための生き方を説く。

こちらは、いわば、より現実主義に
立脚しているのである。


次回につづく


スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック