2013年08月22日 (木) | Edit |
月洞 譲著「老子の読み方」祥伝社NON-BOOKより (5)


老子は「僕(ぼく)」(山から切り出された原木)を
ひじょうに大切なものとする。

たとえば、「大は小を兼ねぬといえども、
しゃもじは耳かきの用をなさず」という
日本の古いことわざがあるが、

これは、しゃもじと耳かきとは同じ木で出来ていても、
使用の目的がまるで違うの謂(い)いである。

つまり老子も、このことわざと同じ立場で
僕(ぼく)を重視する。
原木は何にでもなる可能性を持っている。

老子の読み方―“無為自然”―強かに生きる哲学 (ノン・ブック 207 知的サラリーマン・シリーズ 16)老子の読み方―“無為自然”―強かに生きる哲学 (ノン・ブック 207 知的サラリーマン・シリーズ 16)
(1982/09)
月洞 譲

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しかし、いったん削ったり細工したりして器になると、
その道具としての役にしか立たない。

だから老子は、器としての名のあるものより、
原木である僕のように無限の可能性や
エネルギーを持ったものの価値を尊ぶわけである。

そのため、この教訓を現代に活かすとすれば、
「一つの価値観を絶対視することの愚かしさを
十分に承知し、そのうえで行動せよ」

ということになるだろう。『論語』にも
「君子は器(うつわ)ならず」
(諸君機械になってもらっては困るー宮崎市定訳)

とあるが、老子はこういった考えを、孔子のように
個人の規範とはせず、それを通り越した
処世の知恵として説くのである。

つまり何事に没頭するにせよ、
その行き着く方向に絶えず目配りを忘れず、
たとえその時代に、それが正当と見なされても、

そればかりを一途に盲信するなと言う。
そしてこれが、この現世をしぶとく生き抜く
最上の得策とするのである。


さらに、これを私流に言い換えれば、
「人生は金平糖(こんぺいとう)に似ている」
ということになる。つまり、

人間の幸福というものも、
金平糖の角(つの)のように
放射状に伸びているものであって、

しかも、どの方向の角が特に重大というものではない。
ということになる。要するに、
それぞれの角はみな等価値なのではないか。

だから、常に全体を見るゆとりを持たなければならない。
一方、これに反して、一つの角にのみ思い入れ、
それを過大視すれば、必ずバランスを失うし、

その先には思いもかけない陥穽(おとしあな)が
待ち受けているものである。それがこの社会であり、
人生というものなのだーー
老子は、こう説いているのだと思う。

そう言えば、
金平糖の角が一本しかないと信じ込んだために、
どんどん不幸になっていく人が後を絶たない。

・・・以前、東大名誉教授の祖父の額に包丁を
突き立てた青年がいた。
彼も、こういった悲劇に見舞われた一人であろう。

祖父も父も叔父も東大名誉教授、そして、
こういった格式が絶対で、唯一無二の価値観と
家族全体が信じ、

自分もその“空気”の呪縛から逃れられず、
無理やり自らをその枠に当てはめよう
とすればどうなるだろう。

この青年の感受性が豊かであればあるほど、
その精神は痛めつけられ歪められ、ついには
廃人と化するのは、人間性の必然といえよう。


次回につづく

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