2013年08月08日 (木) | Edit |
ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (30)


怒りという感情は厄介なものです。
めらめらと燃えあがる炎のように、
自制心を焼き尽くして、

あとになって必ず後悔するようなことを
言わせたり、させたりします。

人が腹を立てていると、
その人は地獄にいるのだとはっきりわかります。
地獄は怒りと憎しみからできています。


微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践
(2002/02)
ティク・ナット ハン

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怒らないこころは冷めていて、
爽やかで良識に満ちています。
本当の幸福、愛、慈悲の大前提は
この怒りのないこころです。

この怒りが一度気づきの灯火のしたに置かれると、
即座にその破壊力を失っていきます。

こころのなかでこうつぶやいてみてください。
「息を吸って、私は怒りに気づく。息を吐いて、
私は怒りだと気づく」。

腹が立ったら、まず気づきをもってそれを観察し、
次にそれと一体となり、息にぴったりこころを合わせて
みます。そうすれば、もう怒りがこころを独占すること
はできなくなります。

気づきを呼びだして、怒りの仲間に入れてみてください。
気づきは怒りに気づいても、抑圧したり追いだしたり
しないで、ただ見つめているだけです。

これがいちばん大切なことです。気づきは裁判官ではなくて、
妹をいたわり慰めてくれるお姉さんのような存在です。

そして、気づきを維持しつつ、自分自身を十分に知るため、
こころを呼吸に集中するのです。

腹が立ったらすっかり自分を忘れてしまい、
自分を怒らせた相手の粗雑さや不正直さ、
残酷さや性悪さといった悪い面ばかり考えたくなります。

相手を思い出したり、声を聞いたり、
会ったりすればするほど、怒りは激しく燃えあがります。

相手が嘘つきで嫌な人間だというのは、本当かもしれないし、
ただ自分がそう思っているだけかもしれないし、あるいは、
誇張されているのかもしれないけれど、

問題の根っこは腹を立てているこころのほうですから、
私たちはまず自分に戻って、
自分のうちがわを調べてみなければなりません。

いまは怒りの原因になった人の声を聞いたり、
会ったりしないのが得策です。消防士のように、
まず燃えあがった炎に水をかけなければなりません。

家に火をつけた人を探しているときではないのです。
「息を吸って、私は怒っていると気づく。息を吐いて、
全力を尽くして怒りの面倒を見なければならないと気づく」。

怒りにこころを占領されているあいだは、
言葉と行動をつつしんで、
こころを他人にむけないようにすることです。

全力を尽くして怒りを見つめてやれば、
あとで後悔するような失敗をしないですむのです。

腹を立てると、自分が怒りそのものになります。
怒りを抑圧したり排除したりすることは、
自分自身を抑圧したり排除するということです。

楽しいときは私たちは喜びに変身するし、
腹が立ったら怒りに変身します。
怒りを生みだしたのは自分なのだから、
怒りも自分のなかのエネルギーだと気づいてください。

そうしたら、そのエネルギーを受け入れて、
別のエネルギーに転換することができます。



次回につづく

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