2013年08月01日 (木) | Edit |
A・スマナサーラ著「意のままに生きられる」ヴィパッサナー瞑想法 国書刊行会より(4)


意見が合わない。
話が通じない。

ある人がウナギがいいというと、
ある人はカレーの方がいいと言うし、
ある人はそばがよくて、
他の人はうどんがいいと言う。

食べ物ひとつにしても、
まったく意見が合わない。


そして我々は、
自分の判断にものすごく
しがみついています。


意のままに生きられる―ヴィパッサナー瞑想法 (シリーズ自分づくり“釈迦の瞑想法” (2))意のままに生きられる―ヴィパッサナー瞑想法 (シリーズ自分づくり“釈迦の瞑想法” (2))
(1997/09)
A・スマナサーラ

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自分の心に聞いてみてほしいのですが、
かつて大嫌いだとおもった人については、
その判断が正しいとずっとおもっているのではないですか。

あの人が憎いと判断したら、
ずっとその憎いというおもいを持ちつづけるし、

あの人はかわいいとおもったら、
ずっとその人をかわいい、
かわいいとおもいつづけているでしょう。

そういうふうに自分の判断に
しがみついていると、
いろいろな問題が起こります。


私の経験からみると特に女性に目立つのですが、
自分が下した判断に非常に固くしがみついて、
私の意見などまったく聞きません。

……
ダンナさんの問題とか、子どもの問題とか、
いろいろな問題を相談にきますよ。

その相談を受けた瞬間に、
私はこんなことは一分で解決できそうだと
おもうのですね。

ところが一分どころか、
一年、二年つき合っても、
その問題はそのままで解決などしません。

なぜかというと、
もう本人が自分の意見に固執して、
こだわってそれに取りつかれているのです。


こういう場合にはまず人間の判断力というものが
いかにばかばかしいものであるかを
理解させないとだめです。

それを理解したらもうそれだけで、
皆さんは悟りの第一段階を通ります。
そしていろいろな悩みごとはなくなります。

たとえばだれかが、
「あなたは途方もない大バカでまぬけな人です」
と言ったら、言われた人はふつう怒るでしょう。

ところが判断などなにもしない人は、
ああなるほど、
この人はそう判断しているんだなとおもうだけで、
それで終わります。

また、だれかにすごくほめられたら、
皆すごく機嫌がよくなって、
舞い上がってしまう。

でも判断がばからしいことを知っている人は、
なるほどこの人は私のことをそう評価しているんだ、
そういう判断だ、とそれだけで終わるのです。


そのように判断を乗り越えること、
判断をしないことはすごい力があるのです。
それが悟りの一段階です。

もし皆さんが、きょうからでも、
いっさい判断は置いておくと決めて
実行したならば、

もうそれで悟りの第一段階を
達成したということです。


瞑想で自己を観察すると同時に、
判断をしないように観察するのです。

この判断をしないということは、
ほんとうにとても大切だということを
理解しておいて下さい。


次回につづく

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