2013年07月01日 (月) | Edit |
A・スマナサーラ著「意のままに生きられる」ヴィパッサナー瞑想法 国書刊行会より(3)


次に判断ということについて考えてみましょう。

結論から言いますと、
皆さんに判断しないでもらいたいのです。

逆に言えば、
判断するということをやめてもらいたいのです。
何も判断しないこと。

……
人間というのは、
何でもすぐに判断します。
瞬時に判断します。

ところが、その判断は
たいていいつも間違っているのです。

意のままに生きられる―ヴィパッサナー瞑想法 (シリーズ自分づくり“釈迦の瞑想法” (2))意のままに生きられる―ヴィパッサナー瞑想法 (シリーズ自分づくり“釈迦の瞑想法” (2))
(1997/09)
A・スマナサーラ

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私が皆さんにバラの花束を見せるとします。
見せた瞬間、目に映った瞬間に、
皆さんはもういろいろな判断をしているのです。

これはバラだ、きれいだ、赤い色だ
などとすぐに判断しますね。
しかしそれらの判断は正しいでしょうか。

皆さんに黒い眼鏡ケースをお見せします。
見た瞬間に、眼鏡のケースだ、
色は黒いともう判断しているでしょう。

その判断は正しいですか。
もしそれがほんとうに存在の真実であるならば、
だれが見てもこれは黒い眼鏡ケースであるはずです。

もし真実でないならば、
見る者によって変わるのです。

黒い眼鏡ケースをたとえば犬に見せる。
犬はどう判断するのですか。
おもちゃだとおもうかもしれませんし、

まったく無関心でつまらないものだと
おもうだけかもしれません。

あるいはこの黒い眼鏡ケースを
台所の暗いところに置いておくと、
ゴキブリはどう判断するのですか。
いい家だとおもうかもしれません。

ですからこれは黒い眼鏡ケースだというのは
あくまでも我々人間の勝手な判断なのです。

人間でも眼鏡を知らない赤ちゃんが見たら、
すぐに口に入れたりして
おもちゃになってしまいます。


……
我々は何でもすぐに判断をしていますが、
我々の判断は常にいい加減な基準なのです。
私たちはいい加減な判断をして、

いい加減な世界に生きています。
そしていい加減な人格をつくり、
いい加減な世界観をもっています。

ですから人間同士の概念は
お互いなかなかかみ合いません。
どうしてでしょう。

同じ人間でありながら、
夫婦の意見さえも合わない。
子どもと両親の意見もあわない。

先生と生徒たちの意見も合わない。
友だち同士でもいろいろ意見が合わない。

それなのに我々は、
判断というものが
正しいとおもっている。

考えてみるとばかばかしくなりませんか。

その判断の違い、
意見の食い違いが人間の一切の苦しみ、
苦悩を生んでいるのです。


次回につづく


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