2013年03月19日 (火) | Edit |
五木 寛之 著「他力」講談社文庫より (7)


〈諦め〉という言葉には、
非常にネガティブなイメージがあります。

しかし、諦めるということは
本当にわるいことなのだろうか。

諦めるということは、
受身で弱々しいことのように思われますが、

〈諦める〉ということは、
じつは「明らかに究める」
ということです。

他力 (講談社文庫)他力 (講談社文庫)
(2000/11/06)
五木 寛之

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物事を明らかにし、その本質を究めること。
勇気を持って真実を見極め、それを認めることが、
本当の〈諦める〉ということなのです。

たとえば、親鸞は中世で最も強く
〈諦める〉ことに到達した人物なのです。
彼は何を諦めたのか。

それは、自分の欲望や煩悩から
個人の自力ではとうてい
解脱することはできない、
ということです。

親鸞は二十九歳まで厳しい修行を行いました。
しかしどんなに修行を積んでも、

自分の中に邪心や欲望の火が燃え盛るのを
どうしても抑えることができなかった。
そして、彼は悟るのです。

「自力では悟れぬものと悟りたり」

つまり、親鸞は、自分の力で
解脱することはできないと諦めたわけです。


親鸞が開いた浄土真宗は、
煩悩を捨てよとは教えない
〈他力〉の思想です。

そこがほかの宗派とは大きく違うところです。
いや、インドや中国の仏教とも
はっきり違うのです。

それは本当の意味での諦めの宗教です。

諦めきったところから、
物事が明らかになり、
それを究めきったところに真実がある。

そこに本当の意味での
静かな強さが生まれます。

人間は、自分が患っている病気や困難に打ち勝つぞ、
と思っただけでは、
その状況を克服することはできません。

むしろ、人間の命は有限であると、
諦めることです。

そして、いま、生きていることへの
感謝の気持ちを持ち、
生きているこの瞬間を十分に味わう。

そういうしなやかな心を持つことが、
人間が直面する危機に際して、
人間をサバイバルさせる大きな力になると思うのです。

しなやかな心は、死と対決して、
それを否定する中からは生まれません。

死を見つめることを通して、
生を見つめ、それを迎え入れる中から
生まれてくるものなのです。

危機の中で人間を支えるのは、
じつはこうしたしなやかな心では
ないでしょうか。

強くあるだけが
生きていく術ではありません。



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