2013年02月19日 (火) | Edit |
五木 寛之 著「他力」講談社文庫より (6)

二千数百年前、ゴータマという青年は人生を、
〈生老病死〉という四つの思うに任せぬこと
としてとらえました。

生まれてくることは思うに任せぬことであり、
老いも避けられない、人間は病を得る。
そして死も否応なしに迎えなければならない。

人間は自分の意志とか、
努力とかではどうしようもない
生老病死を背負って生きていく存在である。

文明が進歩しようと、
時代が変わろうと、
民族が異なろうと、

これは人間の共通の運命的な条件である、
こう考えました。


他力 (講談社文庫)他力 (講談社文庫)
(2000/11/06)
五木 寛之

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こういう考え方は
徹底した〈究極のマイナス思考〉
であると思います。

では、そういうものを背負った人間が、
それでもなお生き生きと
希望を持って生きていく道はあるのか。

後にブッタと呼ばれる青年が
こういう魂の探求の旅に旅立ったのが、
二十九歳のときでした。

彼は家族を捨て
安逸な生活を捨てて
出家します。

彼は究極のマイナス思考から出発して、
最終的には人間の存在を肯定し、
ブッタ(悟った人)と呼ばれるにいたったわけです。

彼の言葉が人々の心を打つのは、
究極のマイナス思考から確かなプラス思考を
つかみだしたが故ではないでしょうか。

これまで言われてきた
プラス思考と呼ばれているものは、
じつは安易な楽観主義であり、

漠然とした希望であって、
本当に生きる力になるようなもとは
思えません。

本物のプラス思考は、
究極のマイナス思考と
背中合わせなのではないか。

いまはまず、直面する現実、
大きな魂の危機を直視することから
始めなければならない。

私たちが問われているのは、
「人間とは何か」
一生懸命に追求することではありません。

「この状況の中でどうすればいいのか」
こそが、問われているのです。

たとえば、多額の借金を抱えて
どうにもならない状況に陥ったように
感じることがあるかもしれない。

しかし、じつはそれはどうにもならない
問題ではない、と考える。

自己破産を選択するのも
ひとつの方法だろうと思う。

人から蔑まれ、
体面や信用が壊れるかもしれない。
家族も崩壊するかもしれない。

それでも、離婚してもいいから、
家出してもいいから、
人は生き延びるべきだと考えます。

マイナスの勇気、
失うことの勇気、
あるいは捨てることの勇気、

現実を直視した究極のマイナス思考から、
本物のプラス思考が出てくるのです。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
ものをあげるということ
先程、タンブラーでみつけた文章です。
とても深いものがあります。


あげるのは、相手のためを思うんじゃなくて、
自分があげたいのだ。
そしてそのことを、もっと自覚するべきだ。

あげたいっていう自分の欲求を満たすために
あげるのだ。
それにはたちの悪いことに、相手が喜んでほ
しい(喜ぶべきだ)という期待までついてくる。

あげるのは、自分があげるもの(恩恵や特権)
をもっているからだ。あげるということはなく
てもそれほど自分が困らないからだ。

そして自分がもっているものを分け合いたい
という気持ちは確かに善意だから、その人の
善意・好意は否定されるべきじゃない、と皆
おもっている。


でも。


ものをあげるより、問題と向き合い続けるこ
とがどれほど難しいか。
向き合い続けるのは、皆ができることじゃない。
だったら、向き合う人を、彼らが自由に使える
形で支援すること。(つまりどんなものにも替
えられるお金。)

もしくは何かをあげるとき、それが本当に相手
の役に立つかを、思い込みや価値観の押しつけ
じゃなくて真剣に考えること。

ものをあげたい自分の気持ちを、善意だと思い
込まないこと。

単純な善意が暴力に変わることがあるってこと
を、ちゃんと自覚すること。


“— ** 依然 saereal ** |
ものをあげるということについて
(伊達直人騒動に関連して) (via yuco)


2013/02/24(Sun) 10:39 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
体罰問題の本質
タンブラーで見つけた為末さんの言葉、
本質をついていると思いました。


 為末氏は「体育会出身者は社会で人気がある。
体罰問題の本質は、日本社会でパワハラが容認
されていてそこに適応する人材を養成するため
にスポーツが役立ってきたというところにある
のでは」と問題提起。

 スポーツを教育の一環と捉えることにも疑問
を投げかけ「遊びというのが欧米の認識」と主
張した。





為末氏が学会で持論「体罰はドーピング」 - スポーツニュース : nikkansports.com (via kotoripiyopiyo)
2013/02/22(Fri) 19:10 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
現実を直視した究極のマイナス思考
五木 寛之さんも本文のなかで

人間は自分の意志とか、
努力とかではどうしようもない
生老病死(つまり人生)を
背負って生きていく存在である。

とおっしゃっているではありませんか。

最近ご近所の40代のご夫婦が
離婚されたのを知りました。

周りの人はまるで蜂の巣を突っついた
みたいにあーだこーだといっていますが
私は立ち入るべきではないと思っています。

離婚するしかない人は
離婚するしかないのです。

だれも彼らに代わって彼らの
人生を歩むことはできません。

やまんばさんは

ブッタ様の妻や子供の立場に
なってしまうのです

とおっしゃいますが、
それはブッタの妻や子供の立場
などではなく、ただあなたの好悪の
気持ちだけなのです。

なぜ離婚を悪と決めつけるのですか
人生は単純に好き嫌いで片づけられる
ものではありません。

あなたのご両親が離婚されたのも
止むを得なかったのだと思います。

起きてくることを誠実に受け入れて
精一杯いきていく・・・・・・・
これでいいのだとおもいます。




2013/02/22(Fri) 18:42 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
引っかかる言葉
ここを読ませていただくのは二度目だと思います。

この現実をきちんとみつめ、どう対処していくか!
すごく 大切なことだと思います。

そこはいいのですが、両親が小さいときに離婚したやまんばにとって  どうも次の箇所がひっかかるのです。

「魂の探求の旅に旅立った青年ブッタ。
家族を捨て、安逸な生活を捨てて 出家する。」

ブッタ様、
魂の探求は今、そこで出来んかったのですか!!

確かにたくさんの迷える人々を救ったかもしれませんが、
やまんばはブッタ様のここが好きになれません。
つい、ブッタ様の妻や子供の立場になってしまうのです。
ごめんなさい。

まあ、やまんば如きが怒っても 仕方ないことですが・・・・

生まれてくるのは 
思うにまかせぬことであり 

と記されてあるし、この年になると実感もしますのですが。。。。。
やまんばもこの世はままならぬとわかっつてはいるし、自分も決して人を批判できるりっぱな人間ではないとは
重々承知なのですが、ここにくると 三歳くらいになり
トラウマが頭をもたげてくるのです^^^^^^

お騒がせして申し訳ありませんでした。

でも本当は怒っているわけではないのです。
ただ 悲しいのです。
2013/02/22(Fri) 12:59 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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