2012年09月01日 (土) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(32)



徳とは

関係のなかに秩序があるということです

あなたがひとたび 徳の土台をつくりあげれば

そこには

愛と死の質があらわれます

それが 生のすべてです


そのとき 心は

たとえようもなく静かになります

おのずと静かになります

抑圧し 律し コントロールして 

静かにさせられるのではありません

この静けさは

かぎりなく豊かです


hikaru kawa


それを超えてしまうと

どんな言葉も

どんな描写も

まったく役に立ちません

そのとき 心はもはや

絶対的なものを知ろうとはしません

その必要がないからです

その静けさのなかには

“あるがままのすべて”が存在しているのです

このすべてが

瞑想のもたらす祝福です



雨あがりの丘は

すばらしかった

丘はいまも

夏の太陽に こんがりと焼かれていたが

やがて 緑が芽ぶくだろう

雨はかなり激しくふった

丘の美しさは たとえようもなかった

空はまだ どんよりしていた

大気には

うるしや セージや ユーカリの香りが漂っていた

香りにつつまれているのは

すばらしかった

あのふしぎな静けさが

あなたにのりうつっていた

はるか眼下に広がる海とはちがい

丘はまったく静かだった

あなたは あなたのことをながめた

あなたは 下にみえるあの小さな家に

すべてを置き去りにしてきた

あなたの衣装

あなたの思考

生活のならわし……

いま あなたは 

とても身軽に旅をしていた

どんな思考もなく

どんな重荷もなく


瞑想瞑想
(1998/06)
J.クリシュナムルティ

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次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
途中で無頓着にならずに気づくこと。
注意するときは・・・・信号を渡るとき
           恐ろしい吊り橋を渡ったとき 
           絵の仕上げごろ 細心の注意

ふむふむ  やまんばの感覚が敏感になっているときだ。

徳とは あるがままのものの事実を直視すること
そして 努力なしに あるがままのものと生きること
 (なんだか 安らぎを感じました)

ろくろくさん
やまんばは今以上に注意をして 観察していきます。
なんだか 興味が湧いてきました。

気づきには どうやら 段階があるようですね。

本当にありがとうございます。

熱しやすく 冷めやすいやまんばは、「途中で無頓着にならずに気づきこと」ということによく注意してまいります。

しかし私は、怠け者で 大切なことも忘れて 道草したり 眠りこけたり。。。。
ほんと!いい加減ですから

でもこんな情けない自分を嫌わずに 何回も立ち上がり 気づきの続きをやっていこうと思います。

             
2012/09/06(Thu) 06:20 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
誰もできない
いま一番伝えたかったことのすべてが
ここにあります。


誰もあなたをあなたの罠から
救い出すことはできません。

どんな導師も、どんな麻薬も、どんな呪文も、
誰も、私自身も入れて-誰も、特に私自身は。

あなたに必要なのは最初から最後まで
気づくことだけです、

途中で無頓着にならずに
気づくことだけです。


2012/09/05(Wed) 15:13 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
徳とは
観察すること

徳はあるがままのものの事実を直視すること

そして、努力なしに<あるがままのもの>と生きることが、徳なのです。

徳を追求していることを自分で意識しているようないわゆる道徳的な人は,決して「真の実在」を発見することができません

クリシュナムルティ:誰もあなたをあなたの罠から押し出せません-どんな導師も、どんな麻薬も、どんな呪文も、誰も、私自身も入れて-誰も、特に私自身は。あなたに必要なのは最初から最後まで気づくことだけです、途中で無頓着にならずに気づくことだけです。気づきのこの新しい特徴は注意です、そして注意の下には「私」によって作られる新境地はありません。注意は徳の最高の姿です、ゆえにそれは愛です。それはこの上ない知性であり、これらの人為的な罠の仕組みや本質にもし敏感でなければ注意はあり得ません。

2012/09/05(Wed) 14:59 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
わからない言葉?
今回記載されている美しい詩のような言葉の中で

「徳とは 関係の中に秩序があるということです」

と書かれているのが 何回読んでもわかりませんでした。

各々を分子構造みたいにとらえるのだろうか?

自分を見ていたら、いろんな気づきがあり、思い込みの一つ一つを脱いでいくと、これ以上捨てることができないところにきたとする。それぞれ一つ一つに性質があり、その関係性でいろんな動きや性質やエネルギーがうまれたりする。

そのことに気づくということなのだろうか?

ろくろくさんはどう解釈されますか?
教えてください。

2012/09/05(Wed) 07:24 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
依存のない情熱
やまんばは思いました。

やまんばも依存だらけです^^^^

でも つい最近気がつきました。

「依存している」と気づいたら、その依存の気持ちを「愛」に
スイッチを入れ替えたらいいんだ!と。

そう思ったら、このまま さみしい自分 なんにもない自分をありのままやさしく受け入れることができるし、第一すべてが愛なんだと気づけば 見える世界もさらにいきいきと感じるのです。
なんでも深刻にとらえずに 遊びのような感覚に変換していけばいいんだと思えるようになったのです^^^^^

このような気持ちで生きたら、どのような世界がくりひろげられるのだろうか????

それが やまんばの冒険なのです^^^^^^

2012/09/05(Wed) 06:56 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
依存のない情熱
そうなんだよね

僕は音楽に日々依存している
音楽のない人生はちょっと考えにくい

テレビはどうかな
テレビに関しては
かなり自立できたとおもう

でもPC依存がかなり
深刻になりつつあるな
特にタンブラー中毒は
重症かもしれない。

iPodも本もPCも持たずに
海の向こうに
旅立とう
今夜にも



2012/09/04(Tue) 15:02 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
心に響く言葉をみつけました。

忘れっぽい天使より


・・・・・・・・・・・・・・・・・・
依存のない情熱が 
どれほど 
自分を遠くまで連れて行ってくれるかを試すことが  
冒険と言う
。。。。。。。。。。。。。。
2012/09/03(Mon) 06:41 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
あれっ!
今回の記載されている風景の写真・・・・

今 描いているやまんばの絵によく似ています。

ただし、このように深淵ではありません・・・・・

どこか ずっこけていて子供のような絵です^^^
2012/09/01(Sat) 07:33 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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