2012年08月19日 (日) | Edit |
五木 寛之 著「他力」講談社文庫より (1)


私は努力型の人間ではありません。
むしろ、その反対の、
かなりいいかげんなタイプです。

だが、努力をする、
という姿勢にあこがれるところは
昔からありました。

中学生のころは机の前に「努力!」
と大きく書いた半紙をはって
しきりに努力をしようと
むなしい努力を続けていたものです。

高校にはいると、
それは「克己」という字に
変わったりもしました。


他力 (講談社文庫)他力 (講談社文庫)
(2000/11/06)
五木 寛之

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しかし、いくら自分を激しく鞭うとうと、
何をやってもなかなか長続きしないのが
私の生来の性格です。

しなければならないこと、
したほうが絶対にいいことが
自分でわかっていても、

それに取りかかることができない。
真向法も、ウォーキングも、
三日と続きませんでした。

生活のすべてに関して投げやりで、
きちんと結末まで片づけることが
生来苦手なのです。

・・・・・・
ひょっとすると、少年時代にとんでもない
価値大逆転の時代を通過した体験と、

いまの私の暮らしぶりのいいかげんさとは、
無関係でないかもしれません。

自分ひとり何をどうがんばろうと、
大きな社会の変動や
時代のうねりの前には、

ほとんど無力なのだ、と、
体のどこか深いところで
感じているようなのです。

だめなものはだめ、
できないことはできない。

個人の努力も善意も、
むくわれないときはむくわれない。

いや、むしろそのほうが多いのが
人間の世界である、と、
心の底でひそかに思っているのです。


正直者がばかをみる、
という言葉を聞いて、
十代のころ思わず
びっくりしたものです。

なんだって?
これまで正直者がばかをみなかった時代なんて、
一度でもあったんだろうか。

いまごろ何を言っているのか、
と素直に驚いたからです。

それを、ただ、ひねくれた少年の歪んだ考え、
と切り捨ててしまいたくない気持ちが、
いまでも私の中にはあります。

正直者がばかをみるのは当たり前だ、
と信じこんでいればこそ、
私はこれまでに何度も全身全霊で感動できる、

めったにない出来事を
体験することがあったのです。

世の中には、
正直者がばかをみないことも、
ごくまれにはあるのです。

それは事実です。
私はこれまでに何度もそういう例を見てきました。
そして本当に心の底から感動したものです。

努力がむくわれることもまた、まれにあります。
めったにないことだが、絶対にあります。
努力がむなしいなどとは決して思いません。

しかし、それはこの世の中で、ごくごくまれな、
大げさに言えば奇跡のような事件として
あるのであって、それ以上ではないのです。

露骨に言ってしまえば、
正直者はおおむねばかをみます。
努力はほとんどむくわれることはありません。

そういう私のものの見方は、
どこか歪んでいるように思います。
決してノーマルではないでしょう。

しかし、歪んだ鏡に正しい像は映りません。
時代には〈常時〉と〈非常時〉があります。
坂には登りと下りがあります。
風にも順風と逆風があります。

いま、私たちが時代のどこに
立っているかが問題なのです。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
『わたしが一番きれいだったとき』
これも茨木のり子さんの詩

『わたしが一番きれいだったとき』

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね


2012/08/22(Wed) 15:28 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
自分の感受性くらい
今日タンブラーで見つけた詩
がステキだ。


『自分の感受性くらい』

ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


ーーーーーーーーーーー
あらゆることを
ひとのせいにしてきた
ろくろくでした。

2012/08/22(Wed) 15:24 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
正直者・・・?
自分を少しでも「みる」ようになって、「私は正直者です!」と言い切れる人は、この世に存在するのだろうか?と思うようになりました。 

そして、たとえ正直者でも、ばかをみて 何が悪いのだろう^^^^^

だめなものはだめ・・・・それがわかるのはやってからのこと。たとえだめでも、最初からそう思い込んで何もしないより、やったほうがいいなあと思う。

人からみて 結果、取るに足りないことであっても 振り返ってみれば、自分にとって たとえ「三日坊主だったなあ」と思える自分がいるということは、やったから持てた感想だから、その言葉には自分にとっての気持ちの良さがある^^^^^^^

忘れっぽい天使の中で見つけた子羊さんか子ヤギさんの笑顔。
屈託のない笑顔、やさしい笑顔。
やまんばは印刷し、暖かい色の台紙に貼って ここに飾っています。

「上等な笑顔」です!
2012/08/19(Sun) 06:07 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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