2012年08月07日 (火) | Edit |
ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (18)


私たちは毎日いろいろな仕切りのなかで暮らしています。
瞑想も、瞑想センターから台所や仕事場に移せるのでは
ないでしょうか。

瞑想センターではしずかに坐って、
ひと息ひと息に気づく練習をします。

この坐ることによって引きだされる効果を、
動きまわり活動する生活に及ぼしていける
のではないでしょうか。


微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践
(2002/02)
ティク・ナット ハン

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お医者さんが腕に注射をすると、
その効き目は腕から全身へと及び、
体全体を治してくれます。

あなたが毎日三十分坐って瞑想をすると、
その半時間の効果はそれだけにとどまらず、
一日じゅうつづきます。

これと同じように一度の微笑み、
一回の気づきの息は一日じゅう私たちを
つつんでくれます。

修業とそれ以外の生活のあいだにある仕切りを
とりはずすように努力することが大切です。

瞑想センターで歩くときは、注意を全身に漲らせて
ゆっくりと歩きます。しかし、空港やスーパーマーケット
に行くときは、私たちは別人になっています。

せかせかと、こころなど忘れて歩きます。
空港やスーパーマーケットでも気づきの練習ができない
ものでしょうか。

電話のベルが鳴っているあいだに気づきの練習をしている
友人がいますが、とてもうまくいっています。

また、ある友人は仕事で人と会う時間のあいまに歩く瞑想
を行なっています。デンバーの市街地のビルの谷間を歩き
ながら、気づきのこころを忘れないように励んでいます。

とおりすがりの人も彼に微笑みかけてくれるし、
人と会うとき、その相手がひどく気むずかしい人であっても、
気がついてみたらとても気持ちよく話ができ、
うまくつき合えているのです。

私たちはこのような気づきの練習を、瞑想センターから
毎日の生活のなかに持ちこむことができるはずです。
どのように行ってゆくかは、自分自身で吟味してください。

あなたなら電話のベルが鳴っているあいだに息の観察を
しますか。一日の激しい仕事のあとで心身を緩める練習を
しますか。これは実践の問題です。

夕食のとき、くつろぎのとき、床についたときなどに、
どのように瞑想を応用していくかを学んだら、瞑想行は
毎日の生活に浸透してゆき、やがては社会的な事柄にも
大きな影響を及ぼしていきます。

気づきの生活は毎日の暮らしのなかに染みこみ、一分、
そして一時間とひろがってゆきます。瞑想は生活から
切り離された遠い存在ではなくなるのです。



次回につづく

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コメント
この記事へのコメント
仕切りをはずす
ろくろくさんがいろんな仕切りの例を並べられた。

やまんばは「そういう仕切りもあるんだな・・・」と気づきました。

しばらくして わかったのです。
なぜ この言葉たちが やまんばを不安にさせるのか?

仕切りを外していくと。。。。
自分という存在が消えてしまうからなのだ

それは生きていて 死ぬこと

やまんば、悟らなくていい!
仕切りは外しません!
仕切りは 大切 
いろんな仕切りを作って 自分を守ろうとしている
そんな自分という思い込みの産物が
けなげで愛おしい

2012/08/10(Fri) 05:48 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
仕切り
私たちは地球という仕切りの
中で今日も生きています。

今ロンドンでは、
国という仕切りを代表した選手が
集まって勝った負けたといって
騒いでいます。

私の部屋の仕切りであるドアが
すっかり古くなって
開け閉めする度に
ギシギシ音をたてます。

私を仕切っている体も
あちこちで悲鳴を上げて
ギシギシ音をたてています。

2012/08/09(Thu) 09:31 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
仕切りをはずす
この言葉はやまんばを不安にさせる。

この文の最初にも
「私たちは 毎日いろんな仕切りの中で暮らしている」と書かれている。

小さいとき、押し入れや犬小屋のようなせまい空間、布団で丸く囲んだ空間の中に入って体を丸めて眠るなどしたら、安心できた。

それは今もあまり変わっていないのかもしれない・・・

インターネットは直接 人と出会わない。
仕切りがある。
奇妙な世界だと感じる。
繫がっているような いないような・・・・

そのほかにも いちいち意識はしていないだけで、
たくさんの仕切りを作って 生きているようだ。


「仕切りをはずす」

2012/08/09(Thu) 06:03 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
絵を制作するとき
最近は、白い画面を前にして座るとき、小さなとき、そろばんを最初に弾くときに、
「ごわさんに願いましては_____、」といって始めていたように
自分の内側を白紙の状態にするようにこころがけるようになりました。
それと以前は制作は静かにまとまった時間を必要としていましたが、今はバラバラの細切れの時間、アトリエに来たとき、ふと、たたずみ、興味がわくところに行き、子供が遊ぶように筆を動かすようになりました。
だから 何枚か完成されていないパネルや和紙が転がっているようになりました^^^^そして ある日 なんとなく「ありゃ、いいのが出来てるわ^^^」ということになるのです。
それが いとおかしくて おもしろいです。
2012/08/07(Tue) 09:26 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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