2012年06月07日 (木) | Edit |
ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (16)


私は四十年前にヴェトナムではじめて
自転車に乗った修行僧でした。

当時は、自転車に乗るなど仏門にいるものが
することではない、と思われていました。

いまでは僧侶といえど、
単車にも乗るし自動車にも乗ります。

わたしたちの瞑想も時代にあったもので、
現実の世界に対応したものでなければならない
と思います。

そこで車を運転する前にくちずさむガーター(短い詩)
をつくりました。このガーターを唱えてから運転を
はじめると、きっとよい運転ができると思います。


  車を走らせる前に
  私は知っている どこへ行くかを
  車と私はひとつ
  車が速く走れば 私も早く走る


微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践
(2002/02)
ティク・ナット ハン

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私たちは大して必要でないのに、
気分転換や自分から逃れるために、
車でドライヴをすることがあります。

こころのなかが空っぽになって、
それにむかい合いたくないこともあるでしょう。

いそがしいのは嫌なくせに、暇ができると、
ひとりで自分にむかい合うのが怖くなる。

この孤独から逃れるために、テレビをつけたり、
電話の受話器に手を伸ばしたり、小説を読んだり、
友だちと出かけたり、あるいは車に乗って、
どこへ行くともなく家を出てしまうのです。

私たちの文化がそのように仕向けて、
欲しいものを山ほど与えて、
自分自身を見失わせるのです。

車にキーをさしこむ前にこのガーターをくちずさむと、
それは松明のようにパーッとかがやいて、
こころの闇を明るく照らしだし、どこかよそへ行って、
こころの空洞を埋める必要などないことを教えてくれます。

どこへ行っても自分から逃れることはできません。
だからエンジンを切って、ウォーキング・メディテーション
に出かけたほうが、はるかに気持ちが落ちつくと思います。

この数年間に200万平方マイルの森林が酸性雨で消滅して
しまったそうです。その原因のひとつに車の大気汚染が
あります。

「車を走らせる前に 私は知っている どこへ行くかを」
というのは、たいへん重要な問いかけです。
私たちはどこへ行こうとしているのでしょうか。
私たちはみずからの破滅へむかっているのでしょうか。

木が死んでしまったら、
私たち人間もまた死んでしまいます。

もし車に乗ることが必要なら、迷わずに乗ってください。
しかし大して重要でないと思えたら、さしこんだキーを
抜いて、その代わりに、川の土手や公園に散歩に出かけて
みてください。

このほうがしずかに自分を見つめて、自分に戻ることが
できるし、樹々とも仲よくなることができるのです。

「車と私はひとつ」。車を運転するとき、
私たちは自分が主人で、車は道具にすぎないと考えますが、
そうではありません。

私たちが何か道具や機会を使うとき、私たちは変わります。
ヴァイオリンを弾いている人はとても美しいものです。
拳銃を持った人はとても危険な存在になります。

車を運転するときには、私たちは自分であり、
かつ車でもあるのです。



次回につづく

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コメント
この記事へのコメント
おはようございます^^^
ろくろくさんは、素敵な車に乗られているのですね^^。

車といえば、やまんばはダンプに乗せてもらった経験があるのです。
まだセーラー服姿の純情な高校生の頃、時々全国行脚と称して行方不明になる私の大好きな六つちがいの兄が、帰ってくるたびにいろんな車に乗って帰るのです。時々、学校まで送ってくれてたのですが、ある日、でっかいダンプのトラックに乗って帰ってきたのです。
いつものように 送ってやるというのですが、乙女のやまんばは、学校の正門に横付けにされた大型のダンプから、やまんばが降りる姿を想像して、丁寧に兄に辞退したのですが、遠慮することはないと強くすすめられ、遅刻しそうでもあり、お言葉に甘えて乗せていってもらいました。
乗って初めてダンプのお兄様方がなぜあのような運転をされるのか?が理解できました。
なるほど~~~~
座席が高く視野が広いのです!
なんとなく、自分が偉くなったような^^^なんでも出来るような^^^^ゆかいな気分になったのには驚きました^^^

しかし、正門に着き、ダンプから降ろされたとき、丁度秘かに憧れていた男の子が目の前を歩いていたのを目にしたやまんばは、すっかりしょげてしまいました^^^^^

あれから一度も、兄はダンプに乗って帰ることがなかったので、よかった!です^^^^^
2012/06/09(Sat) 06:33 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
車と私はひとつ
我が家には今二台車があります。
一台はプリウス
もう一台は四駆のプラド。

プリウスに乗っている時と
プラドに乗っている時とでは
人格まで違っている感じがします。

ベンツに乗っていた時は
どことなく偉そうなベンツの気分
だったなぁと思います。

2012/06/08(Fri) 10:45 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
あれっ?
朝一番に今朝の記載事項に対して、コメントして、もう一度確認してみると、コメントが送信されていませんでした。

ろくろくさんに、やはり、感謝の気持ちを伝えたいので、もう一度、コメントしたら、先ほどのコメントも記載されていて、やまんばの感想が重なりました^^^^
2012/06/07(Thu) 07:35 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
意識改革
なるほど~~~

「車を運転するときには
私たちは 自分であり
かつ車であるのです」

そういうふうに思って 運転したことは一度もありませんでした。

「私たちが何か道具やきかいを使うとき、わたしたちは変わります。」

こういう風に思えると、動作の一つ一つがより丁寧にやさしくなるように思えます。
これはやまんばにとって、大きな意識改革になることでしょう。

ありがとうございました。

2012/06/07(Thu) 07:29 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
ドキッとしました。
「車を運転するときには、
私たちは 自分でもあり、
車でもあるのです。」

そうでした。そうでした。
忘れないように、運転しましょう。


「私たちの文化が 欲しいものを山ほど与えて
 自分自身を見失わせる。」
なるほど、そうでした。
何にもすることがないとき、つい、テレビをつけてる自分がいる。毎日のその時間を集計したら・・・

「私たちが何か道具やきかいを使うとき、
私たちは変わります」
そういう風に意識したことは、一度もありませんでした。

車や道具とそれを使う自分と、「一つ」

なんだかこれからは、もっと ものごとが楽しく、かつ 丁寧に運んでいくように思えます。

すばらしい意識改革をしていただきました。
ありがとうございました!
2012/06/07(Thu) 06:06 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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