2012年01月19日 (木) | Edit |
ひろ さちや著「まんだら人生論」より

節分の夜の豆まきのことばは、
「福は内、鬼は外」
が一般的である。

ところが、
東京の亀戸天神などでは、
「鬼は外」
だけを言って
「福は内」を言わないそうだ。


setubun

この豆まきの行事は、疫病神を
追い払うのが目的で、宮中でおこなわれていた。
したがって、「鬼は外」だけを連呼するほうが、
本来の目的に忠実なわけだ。

反対に千葉の成田山新勝寺などでは
「福は内」
だけを連呼する。

仏教では、「福と鬼」といったふうに、
物事を対立的にとらえることを嫌う。
そうした考え方が、
ここによくあらわれている。

この考え方をおしすすめると、
奈良の吉野山の蔵王堂で行われている、
「福は内、鬼も内」
になる。

ここでは、
積極的に鬼を呼び集めて、
お経の力でもって
鬼を改心させるのだそうだ。

鬼を追い払ってしまえば、
なるほど自分のところだけはよくなるが、
鬼は他人のところに行く。
それでいいというのは、
やはりエゴイズムである。

「福は内、鬼も内」のほうが、
仏教の慈悲の精神に
よくかなっていると思う。

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コメント
この記事へのコメント
ろくろく様
度々失礼いたします。

お忙しいかたなのにご丁寧なお返事を頂き感激しました。
ありがとうございます。

ラマナ・マハリシ…ですか!
勉強してみます。

私も最初に死を意識したのはうんと幼い頃、身内の死がきっかけでした。
天国や転生はどうしても信じ難く、自分が無になってしまうこと…その永遠の闇や途方もない時間の長さを考えると、息苦しく、叫び出したい衝動にかられてしまいます。

小さい頃からまわりには『元気で明るい性格』と思われている様で、現在も『人前で喋る』という仕事上、快活な人と思われていて(アナウンサーやイベント司会の仕事をしています)
誰にもそう言った相談を出来ずにきました。

聞いて頂けて、とてもうれしかったです。

長々とごめんなさい、またお邪魔させてください♪
2012/01/23(Mon) 12:24 | URL  | min #-[ 編集]
minさん
minさん

おたより有り難うございます。

minさんも「死に対する恐怖」を強く
感じられておられるのですね。

私の場合は小学生のとき祖父が亡くなった
ことがきっかけでした。

それはもう怖くて怖くて何日も夜も眠れません
でした。自分が死んでしまうことがどうしても
受け入れることができなかった。

「死に対する恐怖」に関しては
哲学もキリスト教も親鸞も空海も
救いにはなりませんでした。

盤珪禅師による不生禅によって初めて
私の頑固な「死の恐怖」に変化の兆しが出て
きたのです。

そして一番の救いになったのは、
「ラマナ・マハリシの教え」に出会ったこと
でした。

http://lokulog.blog43.fc2.com/?q=%A5%E9%A5%DE%A5%CA%A1%A6%A5%DE%A5%CF%A5%EA%A5%B7

2012/01/21(Sat) 10:25 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
なるほど~
鬼も内、ですか!
いかにも仏教らしい考えですね。

ひろさちやさんの著者も沢山読みましたが、優しい文章がとても好きです。

確たる信仰も哲学も持っていない私は、死に対する恐怖がとても強く(幼い頃からですが、30歳を過ぎた今も変わりません)様々な哲学書や宗教書を読みましたが、どれも心底納得できるものではありませんでした。

そんな時、去年初めに、偶然ろくろくさんのblogに辿り着き、ファンになりました。何か一つの信仰や考え方を一方的に押し付けるのではなく、様々な形で大切なことを教えてくださるので、全てがストンと心に入ってきます。

お白湯も実行してますヨ♪
これからもいろいろ勉強させてください。
よろしくお願いいたします。
2012/01/19(Thu) 17:32 | URL  | min #-[ 編集]
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