2012年02月01日 (水) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(25)


思考が そのまわりにつくりだす空間には

愛がありません

そのような空間は

人と人をへだてるものになります

その空間のなかで

ひとは何者かになろうとし

人生の闘いがおこり

苦しみや恐れがうまれます


瞑想とは

このような空間がなくなることです

“わたし”がなくなることです

そのとき

関係は まったくちがった意味をおびます

というのも

思考によってつくられていない空間には

他者は存在しないからです

それはあなたが存在しないからです

hana


したがって 瞑想は

なにかのヴィジョンを追求するようなことではありません

たとえ それが伝統によって

いくら神聖なものとみなされていようとも……

むしろ 瞑想とは

思考が立ち入ることのできない無限の空間です

わたしたちには

思考によって そのまわりにつくられた小さな空間

すなわち“わたし”というものが

きわめて重要なものになっています

なぜなら これが

心が知っている すべてだからです

心は その空間のなかにある あらゆるものと

一体化しているのです

そのとき

その存在を失うことにたいする恐怖が

その空間のなかでうまれます

しかし 瞑想のなかで

こうしたことが理解されると

心は べつの次元の空間に入ってゆくことができます

そこでは 行為と無為は等しいものとなります



わたしたちは

愛のほんとうの姿をわかっていません

思考によって そのまわりにつくられた

“わたし”という空間のなかでは

愛は

“わたし”と“わたしでないもの”との

争いになってしまうからです

この争い

この苦しみは

愛ではありません



思考は

まさしく愛を否定するものです

それは

“わたし”のいない空間に入ってゆくことができません

その空間には 祝福があります

ひとが追いもとめているが 見いだせないでいる祝福が……

ひとは その祝福を

思考がおよぶ空間のなかで さがしもとめています

しかし 思考は

この祝福のエクスタシーを

破壊してしまいます



瞑想瞑想
(1998/06)
J.クリシュナムルティ

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次回につづく
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コメント
この記事へのコメント
思考「しない」状態を作ること
minさん

「思考は自己ではない」
ということのようです。

私たちは生まれ落ちてからすぐに
言葉をなげかけられます。

そのとき当たり前ですが言葉は「外」
からやってきますよね。

「はじめまして 赤ちゃん」

というふうに・・・・・・

とんでもなく長くなりそうなので
端よりますが、

社会人として自立するまでには
相当の言葉を覚えてしまいます。

そして、いつの間にか「自分と思考」
は一つのものと思ってしまうのです。

ある意味、私たちは様々な思考や言葉に
「憑依されている状態」といえるかもし
れません。

エックハルト・トールは、

「大いなる存在(=不生の仏心)」と
ひとつであるという感覚が得られない
一番の原因は、

自分の思考を「ほんとうの自分」だと
思い込んでしまうことにある。

と言っています。

「思考は本来、道具にすぎない。思考力は、
この世でうまく生きていくための、便利な道具。
思考力のおかげで、仕事も勉強もはかどるし、
生活もうまくいく。

本来は「ほんとうの自分」が使いこなす、道具
のはずだった。ところが、現代人の多くは、
思考がとめどなく垂れ流され、逆に思考に支配
されてしまっている。」

日々の思考こそ、自分なのだと思い込んでしま
っった。

そんななかで
「思考「しない」状態を作ること」は
どうすればいいのでしょうか。

先ずは

「思考に束縛されている自分に気づくこと」

から始めることだということです。



2012/02/06(Mon) 12:46 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
タンブラーより
染井吉野はその美の追究が先行したのか、生命体としての成熟を待たなかった。実生にはならないのである。よく見ると染井吉野にも実が成るようだが、あれから木が育つということはないらしい。染井吉野を増やすには枝を挿し木する。つまり、日本の染井吉野の木はもとは一つのマザーをもっている一つの生命体である。クローンでもある。個体の寿命も短い。追記:花木の挿し木が特殊っていうことではないんですが。
 染井吉野は、身体を分化してのみ増殖するという点で死を否定された生命体でもある。日本全国、そしてアメリカ、中国、韓国と、世界各地に散らばった染井吉野だが、生命体としてはただ一本の永遠の木なのだ。ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」にアイウォーラおばさんという不死のイメージが出てくるが、染井吉野はただ美を与えるためだけに存在し、しかも死と美のイメージを振りまきながら、実際には次世代のために死ぬことが許されない不思議な存在だ。その存在は、ある意味、畸形でもあり、江戸が同じく作り出した蘭鋳のような奇怪さも持ち合わせている。と、いうのはさすがに考えオチ。
2012/02/05(Sun) 14:23 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
寒いですね。
こちら、名古屋は昨日から雪が積もっています。

思考「しない」状態を作ること…難しいですね。
そう考えること自体がすでに「思考」な訳で。
そのループにはまってしまいます。瞑想も禅も、なんどか挑戦しましたが、いつも途中でリタイア(*_*)

んー
まだまだですね…

今日は今から、観音様の豆まきに行ってきます!
ろくろくさんも楽しい節分をお過ごしくださいね。
2012/02/03(Fri) 11:56 | URL  | min #-[ 編集]
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