2012年01月25日 (水) | Edit |
ジェームズ アレン 著「原因」と「結果」の法則より(2)


私たちの誰もが内心では
手にしたいと考えている、
気高い神のような人格は、

神からの贈り物でもなければ、
偶然の産物でもありません。

それは、くり返しめぐらされつづけた、
気高く、正しい思いの、自然な結果です。

そして、卑しい獣のような人格は、
卑しく、誤った思いの、
やはり自然な結果です。

「原因」と「結果」の法則「原因」と「結果」の法則
(2003/04)
ジェームズ アレン

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私たちは、自分自身の思いによって、
自分をすばらしい人間に創りあげることもできれば、
破壊してしまうこともできます。

心という思いの工場のなかで、
私たちは、自分自身を破壊するための
兵器をつくりつづけることもできますし、

強さと喜びと穏やかさに満ちた美しい人格を創るための、
優れた道具をつくりつづけることもできるのです。

正しい思いをめぐらしつづけることで、
私たちは気高い、
崇高な人間へと上昇することができます。

と同時に、誤った思いを選んでめぐらしつづけることで、
獣のような人間へと落下することもできるのです。

そして、その両極端のあいだにはさまざまなレベルの
人格があり、人間はまた、それらの創り手でもあり、
主人でもあるのです。

私たちの魂に響くあらゆる美しい真実のなかで、
次の真実ほど私たちを喜ばせるものはありません。

そのなかには、私たちに対する神からの
信頼と約束が込められています。


「人間は思いの主人であり、
人格の制作者であり、
環境と運命の設計者である」


私たち人間は、強さと知性と愛を備えた生き物です。
と同時に、自分自身がめぐらす思いの主人なのです。

私たちは、人生で直面するどんな状況にも賢く
対処する能力と、自分自身を望みどおりの人間に
創り上げるために使うことができる、
変容と再生のための装置を内側にもっています。

私たちは、たとえもっとも落ちぶれた状態にあるときでも、
つねに自分自身の主人です。

ただし、そのときの私たちは、
自分の所帯を誤って治めている、
愚かな主人です。



次回につづく

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コメント
この記事へのコメント
ありがとうございます。
わかりやすくご説明頂いてありがとうございます。

「不生」

ですね。

私にとって、すごく重要なキーワードな気がします。あと少し、もう一歩で何かが掴めそうです。

ろくろくさんに頂いた言葉のひとつひとつを、ゆっくりと噛み締めて行こうと思います!
2012/01/25(Wed) 22:39 | URL  | min #-[ 編集]
minさん
不生の仏心

真言密教などでは「阿字本不生」と言います。

「一切諸法の本源が不生不滅である、すなわち空(くう)
であることを、阿字が象徴しているという考え」

と辞書にありますが、
なにがなんだかよく分かりませんよね。

盤珪さんはある日「一切事が不生でととのう」ことを
悟ったのだと言います。

どういうことかと言いますと

私たちは「不生」つまり「生まれていない」と言うのです。
生まれていないのだから「不滅」=死なないのだと・・・・・

確かに目に見える身体は死んでしまいます。しかし、
死なない「不滅」のものがあるというのです。

ラマナ・マハリシはそれを「自己」と表現しています。
このマハリシの「自己」は普通に私たちが使っている自己
とは違っていました。

仏教で言う「大我」に近いものと捉えればいいのかな。
日常使っている「自己=自分」のことは「小我」です。


さて、盤珪さんのスゴイところは、この「不生」である
ことの証拠を語ってくれているところです。

「その不生で一切のことが調いまする証拠は、
みなの衆がこちらを向いて、
身どもが言うことを聞いてござるうちに、

後ろにてカラスの声、雀の声、それぞれの声が、
聞こうと思う念を生ぜずに居るに、

カラスの声、雀の声が通じ別れて、
聞きたがわず聞かるるは、
不生で聞くというものでござる。

その如くに一切のことが不生で調いまする。
これが不生の証拠でござる。」


盤珪さんの話に耳を傾けている時に
後ろの方でカラスや雀の声がしていたのでしょうね。

そのカラスや雀の声を意識的に聞いていないにも
かかわらず、間違うことなくカラスの声、雀の声を
聞き分けている。

この「聞き分けている」のは自分の意識や思考ではなく
「不生の仏心」であるというのです。

これはすぐに実験してみることができます。たとえば、

ブログを読んでいる時にそれとなく聞こえてくる物音、
人の声、車の音などを、自分の意識や思考が介入して
いないのに、なんの努力もなしに、聞き分けている事に
気づくことができます。

この「なんの努力もなしに気づく」という「不生の仏心」
は私たちにも明らかに自覚することができます。

そしてこれは不生不滅であるというのです。


http://lokulog.blog43.fc2.com/blog-entry-1271.html#more


2012/01/25(Wed) 19:15 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
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