2011年12月07日 (水) | Edit |
ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (11)


キリストの聖餐式は
気づきを喚起する儀式です。

イエス・キリストはパンをちぎって
弟子たちに分け与えたとき、
こう言われました。

「これを食べなさい。これは私の肉です」。

このときイエスは、弟子たちが、
ひときれのパンを気づきをもって食べたならば、

真のいのちに気づくということを
知っておられたのです。


弟子たちは日々、
漫然と気づきなしにパンを
食べていたでしょうから。

パンはすこしもパンではなく、
それはパンの幻を食べていたようなものでした。

私たちは毎日多くの人に会いますが、
もし気づきのこころを忘れていたら、

その人たちはただの幻で、
本当に生きた人ではなくなります。
自分自身ですら亡霊になってしまいます。

気づきの練習をしてはじめて、
人間として実在することができるのです。

私たちが本当に生きることができれば、
周囲の人も生きてくるし、
人生がかぎりなく豊かになってきます。

パンを食べるのも、みかんを食べるのも、
そしてクッキーを食べるのも、
みな同じ気づきの練習となります。

息をするとき、
気づきを持つとき、
食べものを深く見つめるとき、

そのときにこそ、
生が真実在としてかがやきます。

私にとって聖餐式は
すばらしい気づきの儀式です。

イエス・キリストは、
じつにすばらしい方法で、
弟子たちにこれを気づかせようとしたのだ
と私は思います。

微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践
(2002/02)
ティク・ナット ハン

商品詳細を見る



次回につづく
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック